―オープンガーデンを楽しむ会― 浅野 昌子(会員) |
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| ●4月5日、小金にお住まいの高橋さん(会員)に案内をお願いし、小雨ふる寒い中、ご自宅に集合しました。庭園の植え込みや、見事に空にそびえ立つ大きな桜の木、大木など説明していただきました、これらすべてをご自分で管理手入れしているとのこと、頭の下がる思いで聞き入っておりました。 ●熱いお茶をご馳走になったあと、私たちは3台の車に分乗し、小金にある東漸寺(別記)へ・・・。総門をくぐると参道の両側には松の木や桜の木が並び、四季折々の梅や紫陽花、紅葉などがあり、仁王門をくぐり、次に中雀門をくぐって本殿に向かうと樹齢300年余の枝垂桜や鶴亀の松等、日本の伝統美を感じるお寺として、また四月には法然上人の忌日にちなみ法要がおこなわれ、東葛一円の人々に親しまれ、植木市や露店が立ち並び賑わうとのこと。 ●東漸寺を後にし、次は小金原団地の桜並木を観た後、関東近郊から買い求め客が並ぶというパン屋さんを通り、流山市の東部中学校の桜を車中にて眺め、名都借にある荒井山清流院に向かいました。境内にはライトアップされた樹齢約400年の枝垂れ桜が見事に満開に咲き誇っていました。あまり素晴らしいので桜の下で記念写真をとることにしました。すると誰かが顔は写さなくて良いから桜の花だけ写してくれとの声が聞こえました。綺麗に咲いた桜に気の毒に思ったのでしょう。 |
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仏法山一乗院東漸寺と号し、浄土宗関東18壇林の一つ。 今から約520年余年前の文明13年(1481)経譽愚底運公上人により、当初、根木内(現在地より1キロ北東)に開創いたしました。その約60年後の天文年間に現在地に移された名刹です。 本堂をはじめ8つの学寮など20数ヶ所の堂宇を擁し、300人をこえる学徒を収容し、明治初期には天皇の勅願所であった。小金城主であった高城の息子、三男は幼い頃より出家し、英才を発揮し40才で第七世了学上人となり、本多忠勝、土井利勝ら徳川家重臣の篤い帰依を授けた。家康は了学上人を駿府に招き受成の師とし浄土宗に帰依した。 |
了学上人は忠勝亡きあとも本多家との交流は続き、親族たちも了学上人を師として帰依しました。秀忠から増上寺の管主となるよう依頼をうけ寛永9(1632)年1月17世管主となり、秀忠が亡くなったときは大導師として葬儀を執り行いました。 明治32年4月仮校舎として使用していた小金尋常小学校より出火し大部分消失。目録類数百冊江戸時代中期以降の資料も焼失しました。 境内には小金出身の幕末維新の志士竹内康之助、啓次郎の碑がある。 |
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