私のゴミ拾い                                                  梅津 一晴(会員)
私は道のゴミ拾いをしています。毎月第4日曜日の9時に10人ほどのグループが2班に分かれて、私の班は手賀沼公園交差点をスタートして県道若松交差点までの約1kmの手賀沼ふれあいラインの歩道です。もう1つの班は県道消防署交差点から若松交差点までの約500mです。

発足は2001年ですから来年の春で10年になります。発足のきっかけは、これだけの有志がそろっているので何か社会貢献を考えようではないかという声でした。誰も異論なく、「ゴミ拾い」と決まりました。メンバーの何人かはその経験を持っていたので、「ゴミ」の対象は「人間の不注意で捨てられたゴミ」とし、「木の葉」は歌の題材となるのだから「景観上必要な資源」としてゴミの対象に入れませんでした。

いざ始めてみると「言うは易し」です。県道船橋取手線の市役所前歩道はススキが生い茂り、歩く時はススキを払いながら歩かなければなりません。また、県道の分離帯にはポイ捨ての缶類、タバコの吸殻が散らばっています。

万一のことを考慮して、車道に入り危険をなすことを禁止したのですが、見るに見かねたある男性メンバーが危険域の「ゴミ拾い」を始めてしまいました。それではと男性メンバー全員が集まり、歩道の背の高い雑草の除草大作戦を実行しました。

その後、県道の管理事務所にも申し入れて除草作業を行ってもらいました。そこで判ったことは、県道、市道いずれでも市民が要望すると受け入れてくれることです。しかし、秋にはまた雑草がはびこりました。

私たちは根から除草し、種が散らばるのを防ぎました。そんな悪戦苦闘を3〜4年続けたでしょうか、きれいになり、マラソンをする人、自転車で坂を上る人、近所のおばあちゃんに感謝の声をかけられました。
一方、若松交差点は、捨てタバコの山で悩みの種でした。これの解決には長い時間がかかりました。去年のことでした。タバコの吸殻を1本1本拾っていては、捨てタバコとのイタチゴッコであることに気が付いて、箒を使って一気にきれいにしてしまいました。それを2回ほど繰り返しました。あるとき、花見の帰り、家内がタバコの吸殻が無くなっていることに気が付きました。私も目を疑いましたがきれいになっているのです。今月の第4日曜会のとき箒を持って出かけてみましたが、塵取りの中には数本の捨てタバコしかありませんでした。

「ゴミ拾い」を始めて5年ほど過ぎた頃、私たちは期待したゴミの減少が少なく、「困ったものだ、交差点でビラ配りをしようか」と愚痴るようになりました。2年ほど「愚痴」期間がありました。それを過ぎるとここまでやったのだから「行動あるのみ、最後まで」という気持ちに変わりました。それを境に、だれも愚痴らず、黙々とゴミ拾いを続け、終わった時は楽しく労をねぎらいながら解散しています。

道行く人から、ご苦労さん!と声をかけられ、黙って吸殻をゴミ袋に入れてくれる人、「私も仲間に入れてくれ」といって参加する人、きれいになった交差点で捨てタバコを止めたドライバーの皆さん、有難う。

このことは、第4日曜会メンバーが信じていた「人の心」であったと話し合っています。このメンバーも老齢化の波は容赦なく打ち寄せています。しかし最高齢88歳翁から勇気を頂きながら続けて行こうと肝に銘じています。


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我孫子の景観を育てる会 吉澤 淳一
編集後記
  瑞々しい新緑の木々を縫って、近く遠くコカリナやフルートの音が響き、手賀沼を一望するスポットの一つ「ほととぎす」で温かいお茶を一服、ランチは研修所食堂で〜。素適な日立庭園公開も15回を重ね、すっかり市民のお楽しみになりました。我孫子ゴルフ倶楽部の観桜会も8回となって、私たち会員が一丸となって遂行する年間最大の二行事となっています。来場者の満足そうな笑顔が次の準備の活力です。
  これからも"我孫子の景観"を発掘して、我孫子の良さを発信したいです。
(濱田洋子)

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