日立総合経営研修所は私たちのAlma Mater     富樫 道廣(会員) 
今回で15回目を迎えた日立総合経営研修所の庭園公開を振り返ってみると正に昔日の思いがする。

10年前、広い美しい庭があると聞いて厚かましくも当時の関島社長に単刀直入に公開の申し入れをしたのである。それを快く許可してもらった時は天にも昇るうれしいことだった。その時社長室の窓の下に大きなオスのキジがいたのにはびっくりしたものである。社長はキジを飼っているのですかと聞いたところ、よく飛んでくるという話だった。そのころ手賀沼のほとりにはキジはもう見られなくなっていたからである。(あとで聞いてみると、昭和55,56年に市の農政課が2回にわたって16羽のキジをここに放鳥したそうである。)

学習する環境はキジが飛んでくるような所でなければ良い効果は得られないものだと教えられて納得した。

日立がこの地を選んだ経緯も後で知らされたが、教育にとくに熱心な経営者達がほうぼうの土地を探していたらしい。高幡不動や鎌倉などを見て回り、我孫子で現在のところとは違うところを紹介されて、昼食に立ち寄ったところが「ほととぎす」のある料亭「みどり」であったという。

これぞ最適地と経営者同志意気投合、交渉の結果、「みどり」の経営をしていた我孫子観光(株)の株式、額面650万円を1億円で買い取ることでまとまったという(「営研20年のあゆみ」より)。

場所の選定には様々な思いがあったのだろうが、関島社長のいわれた、小鳥のさえずり、梢の葉音が感ずるような場所とは手賀沼のほとり、我孫子なのだと再認識した次第である。

我孫子が教育の適地といえば、嘉納治五郎が大正の頃、我孫子の高台に7年制の高等学校をイギリスのパブリックスクールを模して開設しようと白山の広大な土地を取得した経緯がある。文部省に反対され実現はしなかったが、もし我孫子に高等学校が出来ていたなら、日立の重役学校ならぬスポーツマンのフェアプレイの精神をモットーにした日本のジェントルマンの養成所になっていたかも知れない。そして白線二本の帽子にマント、デカンショをはいた学生たちが我孫子の街を闊歩したことだろう。沢山の書店やカフェー、雀荘などもできていたろうし、我孫子版の「貫一・お宮」も出来たかも知れない。

白山の土地は、松本農園になり、やがては分譲地になって現在に至っている。教育の適地として、静寂な緑の中だけではない。俯角に見下ろす手賀沼の眺望である。柳、志賀、武者に代表される文人たちもこの景観に魅せられてやってきたはずである。
今度の公開日当日も観月亭からの眺めは見事であった。少し風もあって寒いくらいであったが、5月の太陽は手賀の水面を美しく照らしていた。田植えが終わったばかりの田んぼには水がいっぱいに張られ、そこには遊歩道の並木の新緑がエメラルドグリーンのシルエットを落としている。そしてそのバックにはプルシャンブルーの沼の水が広々と伸びて行く。この情景はこの時期、この瞬間を逃してはみることはかなわない。

水面に照り映える情景を好んで描いた画家たち、モネやシスレー、あるいはピサロなどにこの手賀沼を画いてもらっていたなら、今頃はオルセーかルーブルの一角にあったのかも知れないと勝手に想像してみた。私はこの風景を我孫子の景観構造の典型と位置づけたいのである。面水背山の手賀沼と利根川に囲まれた緑の丘陵、我孫子では同じような景観は容易に見ることが出来るからである。

この庭園のもう一つの特徴は、我孫子の風土ともいうべき生態系の保全である。いまだに残る古墳が物語るように、何万年もの昔からここには人間が定住していた痕跡がある。隣接する桃山公園の整地の際にも4世紀の古墳が発掘された。人間が定住する要因のうち、かなり重要な位置を占めるのが景観であることは言うまでもない。

この景観を内外の側面から支援するのが大動脈としての生態系である。ここではまだ湧水は健全である。手賀沼が干拓されて新田が出来るまで我孫子の田んぼはほとんどが湧水で賄われていた。雨が地上に落ちて地下水になり何年もかかって湧水となって地上に顔をだす。正確には言えないが、地下で水の進む距離は年に1メートルだともいう。この文脈からして我孫子の景観の原点はここにあるとも言えるだろう。

前号で前田さんが「Alma Mater」から「我孫子らしさ」の過程を述べておられたが、「Alma Mater」とはラテン語で「母校」を意味する。欧州では英国だけでなく広く使われ、全国の大学を渡り歩くドイツ人も自分の気に入った大学を胸を張ってそう言っているのを聞いたことがある。

日立総合経営研修所を母校と言える人は私たちの仲間では高西さんと瀧澤さんだけかも知れない。しかし15回も庭園公開を実施させていただき、こと庭園のなかでは知らないことがないくらい学習させてもらった。本当の卒業生以上に親しみを持ち、愛着を持つ人は多いはずである。

この際無礼をも顧みず「我孫子の日立総合経営研修所は私たちのAlma Mater」と言わせてもらいたいと思うのである。

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