我孫子の絶景を模索する
    ―風格ある街並みを求めてー      
高野瀬 恒吉(会員)
過日 東京から友人がやって来たとき、けやきプラザ11F「旬菜ムッターランド」の手賀沼を見渡せる窓辺に席を取って、白樺カレーを味わった。彼は咄嗟に「手賀沼って、静かで、何と美しいネ! 君は好いところに住んでいるねぇ!」だった。

あそこから観る「手賀沼を背景にした我孫子の街並み」は確かに好い。春秋、晴雨を問わず、夫々に風情あり、・・・心に囁きを受ける。何かを偲ばせる心地よい眺めである。

「けやきプラザ」を訪れるたびに、8・9・10階の何処の階でもいい、トイレの横にある自販機でお茶を求め、傍の椅子に掛けて、茶を喫しながら外を眺めると暫しの間虚心になり、瞑想に耽ることが出来るのが楽しみである。それは、静かで孤独になれる場所。ノートを開いて、勉強しているのか、それとも思案をしているのか? 学生らしい若い人もしばしば見かける。本当に格好の憩いの場所である。

「手賀沼と我孫子の街並みを魅了させて呉れる空間」を楽しむに・・・・、我孫子を鳥瞰できるところとして、水の館の展望台、アビスタの屋上、大分前だったが我孫子の景観を育てる会の仲間で見学したことのある中央学院大学の6号館からの展望など、他にも色々在るでしょうが・・・・、手軽にふらりと訪れて心を癒せる場所とすれば、やや箱庭的であるかも知れないが「けやきプラザからの展望」は推奨できる。

鳥瞰ではないが、嘗ては、我孫子の絶景として広く親しまれた「手賀沼のポプラ並木」があった。格好良く植えられたポプラ並木は、歳月を経て沼の水辺に、明るくて風情あり、独特の景観を形成していたが、自然の掟は厳しかった。惜しまれながら、脆くも消えてしまったいま、これに替わる景観として脚光を浴びて来たのは、日立庭園の「観月亭」・「ほととぎすの前庭」か、新しく出来た高野山の「桃山公園」からの遠望を楽しむ風景かと思われる。

然し、「日立庭園」は私有の故に、訪れるには機会に制約がある。「桃山公園」は30年〜50年或は100年も経てば「風格」が備わり、環境も変るだろうが、新しく出来たてであるが故にアクセスの不便を感じさせられるのか、馴染めないのか、おいそれと、何時でも誰もが、気軽に足を運べないのが難点である。

名所とされる景観の地は、空間に仕組まれた風情を発見し、周辺には構築物を配するなどして、人智を傾け、人間性が織り込まれた感動を楽しめる場所を求めて創造したものと言える。思うに、地域の人達で根気よく其処にあるべき独特の人情、風土を大事に育てて来た結果の現れでもあろう。歴史的には、時代が移れば、人の好みも変遷するのだから景観の評価も時世に従い変化していくのに不思議は無いが、既に織り込み蓄積された人間性の真髄は変えられる事なく、「其処に相応しい風格として」深く根を下ろすのである。

では、我孫子の「風格」を誇示する「景観」とは!何処を選びましょうか。

日本列島津々浦々に通じ、海外の人にも通じる「我孫子を象徴する絶景」は何処にあるでしょうか?皆様と一緒に探したいと思う。
話は飛躍しますが、以前に我孫子の自然を愛し、人を愛し、心豊かな人情を育てるには、我孫子のシンボルとなる「清々しい街並み」を創ろうと・・・・、我孫子駅から手賀沼公園を繋ぐ道路の電線を地中化し、安全で、長閑(のどか)にルンルンと歩ける道、"デートする若者が青春を謳歌し、幼児達がハシャギ回るのは勿論、杖つく高齢者や障害者も、またベビーカーを押すお母さん達も、誰もが容易(たやすく)往けて、楽しむ街並みづくり"を想定して・・・・、市民スタッフも加わり、市と協働で検討の「公園坂通り整備構想計画」があった。

ところが、代替道路の「久寺家手賀沼線」(3・4・14号計画道路)の工事は長い年月を掛っていたが、22年の1月頃から急速に舗装工事が進み、中間部分に素晴しい街路が現れた。障碍になっていたスーパーの閉店もあったので先が見えた!と皆なで喜んだのも束の間、完工には至らず、22年3月末と書かれた看板はまたしても、5年先の27年3月と書き換えられ失望です。

期待していた「公園坂通り整備構想計画」の実現は果たして何時になるのか、頓挫にガッカリした市民は、いまや全くの寡黙です。

市のスローガンである、水と緑と鳥の風情に歴史の跡を活かすべく作成された「手賀沼文化拠点整備計画」は我孫子の景観行政を大きく変換させるものと、両手を挙げて声援しています。

市も努力して、杉村楚人冠邸の保存工事を進めて呉れてはいますが、文化拠点整備計画推進の全体スケジュールは伝わって来ていません。将来を夢見る市民としては、「構想全体の遂行意欲」が消極的になったのではないかと心配です。財源の乏しい市の現状から、敢えて贅沢は申しません。然し、苦しくとも我孫子百年の未来をかけた発展を続ける手段として、行政は市民と協働で地道に絶え間ない「景観長期計画」の推進は必要かと感じます。

人には、経年の積み重ねによって育まれた「品格」がある様に、街並みにも、其の街並みが持つある種の「風格」を肌身に感じるものです。これは誰しも体験されているのではないでしょうか。なれば、この地域が醸し出す「風格」は、自然と其処に育つ人々に人間性の形成に糧を与えているのです。

若しも、巷間で「我孫子市の街並には風格がある、との評価を得ることが出来るなれば」市民の誇りともなり、市全体のムードの盛り上がりに繋がります。国の内外を問わず、わが街にも何となく閉塞感の漂う昨今の時世だからこそ、「景観意識の浸透」は大事な街づくりの要素となります。私達一人ひとりの思いは、街の活性化に役立つでしょう。

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