東日本大震災に思うこと
  
被災地福島の子ども達との交流             西村 美智代(会員)
3月11日。テレビから繰り返し流れてきた映像は、目を覆いたくなる惨状であった。そのうち段々と視る勇気が失せていった。その時、まず思い浮かんできたのが、親を失くした子どもが沢山いるであろう! 今その子ども達は何処でどうしているのか? 食事は? 着る物は? 寝る場所は? ・・・胸が痛くなった。日を経ても、そその思いは四六時中頭の中を巡っていた。

私はこの7年余り、足立区の中川北小でボランティアとして「茶道教室」の子ども達に、月1回お茶を教えている。「子どもを育てなければ国の未来はない」と堅く信じている私。私と同じ考えを持ち、お茶を通して実践されている方から誘われ、「我孫子の子どもも足立区の子どもも、同じ日本の子ども」と私が答えて奉仕が始まった。

震災から1ヶ月経った4月10日、茶道教室の子どもたちが被災者の方々をお招きする機会を得た。
 被災地の皆さんが一様に悲しみの底に沈んでいる今、この子ども達に何か出来るのではないかと考え、足立区の武道館に避難している方々に、ほんのひと時でも辛さから開放され寛いで頂けたらと、抹茶を一服差し上げることにした。駅前のホテルの1室を借り、3時間という短い時間ではあるが、保護者の協力も得てそこに被災者の方々をお招きした。

一番初めにボランティアの方に連れられて来たのが、福島の小学校6年生の女児Aさんと1年生の男の子R君。早速、茶道教室の子ども達がお菓子を出し、お茶をたて,折り紙などをしながら懸命に、にこやかにもてなした。
次々とお客様がみえた。老若男女、中には外国人(ガーナ人)の親子もいた。皆さん"美味しい!"と喜んで飲まれた.

被災者の心の内など察する由もないが、一様に明るく振舞われていた。きっとそうするしかなかったのであろう。武道館の方に、「なかには、抱いていた赤ちゃんの首が折れて流されていった!と1日中泣いてばかりいる母親もいる。だから決してこちらからは何も尋ねないように」と釘をさされていたので、じっとお茶を飲んでいる方を見守るしかなかった。3時間のなかで、一旦帰ったAさんが別の子を連れて再度やってきた。嬉しかった。

ホテルでのお茶会が終わった後、折しも満開の桜の武道館前の公園に場所を移した。子どもたちは館の入り口で呼びかけ、道行く人にも声をかけた。何人もの方にお茶を差し上げることが出来た。通りがかった車椅子のご夫婦が「こんな処でお茶をいただけるとは」といとおしそうにお茶碗を撫でながら「家は流されましたが、松島の景色は残りました」と感慨深げに言われた言葉が今も耳に残る。この日、誠心誠意被災者の方々をもてなした。きっと、子ども達の成長の過程でかけがえのない経験をし、得たものも大きかったと信じている。

AさんとR君が9月10日、11日に中川北小の子ども達と交流する為にやってくる。親を亡くし施設にいると思われるAさんとも今度は言葉を交わすことが出来る。
名犬チャールス君を悼む                伊藤 紀久子(会員)  
今年の夏も「こもれび」への道の白粉花(おしろいばな)がとてもきれいに咲きました。景観あびこ34号の「シリーズ まちの美化に取り組む人々」でご紹介した小川光男さんが現在も変わらずよく手入れをしていらっしゃいます。

朝方又は夕方手入れをしていらっしゃる小川さんの脇でいつも静かに待っていた愛犬のチャールス君の姿は多くの人が覚えています。「チャールス君」が7月31日の夕刻、散歩から帰り家に着くなり途端に倒れ、小川さんが抱き上げた時はもう息が無く14年間の命の幕を閉じてしまいました。

8月5日の夕方小川さんからこのお知らせの手紙をいただき、小川さんの深い悲しみがよくわかりました。そして手紙には「生前いつも親しくしていただきあの子も喜んでいました。こもれびにお出かけのついでに線香を上げて頂ければあの子も喜ぶと思います」とありました。

翌朝お伺いし心からお参りいたしました。
英国貴族の猟犬の血統のチャールス君、あなたはほんとうにえらかったネ、今後も小川さんをお守り下さいます様に。帰り道、きれいに咲き揃う白粉花をみながら涙し、深い感銘をうけました。
・小川さんと、ありし日のチャールス君

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