私の「景観」、10年を想う                                                  高野瀬 恒吉
                     
◆過ぎた10年は短いが!< これからの10年は長い!◆
�機法‘�会と偶然の出会い

●戦後の経済復興に貢献した石炭産業にも蔭りが出て、従業員のリストラが始まった。私も転職し、社宅を追われて新居を探す羽目になる。

●昭和45年だった。丸の内に直通の地下鉄千代田線が開通する我孫子駅から歩いて15分のところに、生まれ故郷の琵琶湖畔が連想され、「水と緑と鳥」の自然味豊かで通勤に便利な「若松」を択ぶ。

●以来、凡そ20年間、ベットタウンに過ぎなかった手賀沼湖畔は、只管に生活を全うするだけの"終の棲家"へと様変わりして、通勤のない地元で働くシルバー人材センターと孫の子守を日課としていた。

●その頃、市の「都市計画課」が募集した「景観づくり市民講座」に平成12年の10月だったか、軽い気持ちで受講した。講座は講義の他、街並ウォッチング、手賀沼を船上回遊、文人の遺跡を問うなどを教わって、意外にも"この地の由緒と風景が、生活に疲れた心を癒すのに、素晴しい土地柄にあった"と、認識を改めた反面、住人と土地柄は考える程面白い。漠然とながら「景観なる言葉の持つ、複雑にして微妙性の魅力」に興味を覚える。

●折も折、勧められるままに「我孫子の景観を育てる会」に入会した。
  運命は、突然に訪れる。
  五十有余年、喜怒哀楽の伴侶が急逝して、去り遣らぬ虚無と放心の続く孤独の日常から救われたのは、はからずも前述の「景観の育みを楽しむ集い」に仲間入りしたことであった。

  そこは――"忌憚なく、語れる友ありて、吾を忘れ得る場所"――であった。

●因みに、私は、或る日の午後、憮然としてハケの道を歩いていた時、湧き水で蛍の養殖を試している池の辺りの斜面林の坂道を、何気なく登ると左側の竹垣越しに、静かな溜池と心惹かれる庭が見えたので、衝動的に庭園の管理事務所を訪れ「庭を見させてくれませんか?」と頼むと、責任者の森課長さんは、疑うこともなく、快よく受け入れて下さった人の好さに、感慨あり、でした。

●直後の、会の例会で「皆さんに話したら」即座に庭園を見学し、冨樫顧問はじめ幹部の方々が素早く価値判断するや、庭園所有の「日立総合経営研究所」に交渉して、「市民への一般公開」を実現させた手際の良さに感服、会の行動力を体感する。

●第4回景観シンポジの情熱に浮かされた実践の記憶等々・・・景観の哲学が齎す「人と自然の共同が、偶然の出遇いを誘う不思議」を極めたい思いがする。
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●花鳥風月を愛し、自然界と共同して「人生を楽しむ景観」を見つけようとする、好奇心から伝わる「挑戦の快感」は、孤独になりがちな超高齢の人達へ、余生を充実させるに役立つと、信じて間違いは無い。
  早晩、景観を愛しこれを継承する次世代の人達を朋に、これを実証する時期が来て然るべし、と訴えたい。

●私が、入会した当時、親水広場に「水の館」が建設されようとしていた。会員は、デザインも悪く"折角の広場の風景には不様な構築物"であるとして異論百出だった。お互いに持論を振り回して得意になれた一時期でもあった。

●それが、景観十年と言われるかのように、一部で不評を買った「水の館」も、見慣れた所為なのか、年功からなのか、奇しくも隣に改架された「手賀大橋」と手を携えて、何時の間にか、あの地のランドマークの地位を獲得していた。

●曰くは、まだ残っている・・・・このことは、拙速が招いた故か、価値論からなのか、未だに呟かれている様だ・・・・人の嗜好はどうしようもない。

�掘某佑麓�然の不思議と共同する

●昨年3・11東日本大震災の大津波に襲われているTVの実況放送を見た瞬間、戦地で、初の戦火を浴びた時と同じ様な、戦慄と自我喪失の心境を覚えて、苦笑したのであった。

  未だ現地を見ていないので印象からではあるが、あの時、報道されたのは、既存の総てを容赦なく破壊して行く映像で、私の持つ「景観」のイメージに、鉄槌を下された。声も出ない「負の景観」の世界です。

●人類何十万年、弛みなく育んでくれた、「母なる大地」は決して甘くは無かった。
  因みに、人が食するに毒キノコを見分け、ふぐを賞味する技術を得るにいたるまでには、幾多の人命を失って来た。

●生物は子孫を保存する為に、学習を重ねる厳しさを持つことは周知の通りですが、動力を使う人類の英知は一際優れて発達して来たとは言う。

  然し、「母なる大地」は厳粛である。地上の存在を許しながらも、火山の噴火、気象の異変・台風・黴菌の跋扈など、生物の環境を破壊し、生物の盛衰は日常の茶飯事である現実を真摯に直視しなければ人類自滅の運命を辿りかねない。

(左下へ)


●果てしなく進化する人間の頭脳は、誇りとしても「過信は禁物」、越えがたい自然界の不思議には素直に妥協し、共同こそ必須の要件であると心得たい。

●朝日新聞(2012・6・18の科学の頁)に「生きものの旅の秘密」の記事を見たが,鮭・海亀或は渡り鳥達の夫々が持っている「ナビ(navi)能力」とは、神が与えた、測り知れない機能と覚える。

●質が違うが、人には「生い立ちの地に、郷愁を覚える」不思議がある。
  如実に昨年の大災害で失った人達が、災害前の住居の地に戻りたい深層の心理は、何だろうか、経済的生活事情もあろうが、「風土」の匂いを感じる。

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●「我孫子の景観を育てる会」の愛称を募られて数年、未だに決まりませんが、この10年で、会員数も増加し、年代構成も大きく変化しました。とは言え、多士済々の会員を持つ当会の将来に懸けての命題は、景観行政こそ我孫子市民のバックボーンなると信じたい。

●我孫子の行政には鼎立する三つの柱が、�〆眄� �∧〇磧´7粉僉,任△襪箸垢襪覆譴弌�当会活動の有意性を強調する景観論を更に展開しても好いのではないだろうか。

●さて、巷間の「景観論」は近年は政治に経済に、普遍的に取り上げが見掛けられるが、学問としても専門家の論調は様々ながら「社会構造の中の一角を担っている」事は否めません。

●唯我独尊は免れませんが、3・11大震災後に思った事は、1)破壊→復旧復興、2)科学技術→予想外、 3)造化の不思議→信仰 である。
言い換えると
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  �供法_奮悗凌茲魘砲瓩觀粉僉ΑΑΑε垰垠粉�
  �掘法)�物に神々宿る景観・・・・・哲学
と考えられるから、カテゴリーを次の3区分で試みる。

�� 観光論               
  風景美を五官に訴える桃源境の発見、発掘をして、観光客をもてなし、客の心身を歓喜させることにより、収益を上げることを目的にする観光産業論であり、いま流行の「所謂、街づくり学」であって政府の国交省・地方行政が推進する街づくり政策でもある。戯れに「感光論」と称したいところかも。
�� 都市景観論
 建築・土木工学、構造工学を基盤とし、合理性の仮説のみならず「美術的思考を重視しながら機能を追う、新技術」で未来の都市を計画する。勿論、広く公園・交通・緑化も含まれる。

  例えば、いまや「負の景観」とも目されているが、原発施設周りの街作り、瀬戸大橋、東京空港新ターミナル或は東京駅舎の復興など、枚挙に暇ないが、極く最近には、スカイツリーや渋谷の街は世界へ情報の発信、集収を狙い新旧混在の街に再構築したいなど、後世の「平成の遺産」を目論む。

�� 景観哲学論
 幾十万年の歴史を持つ人類特有の「智慧」は、数多の犠牲を克服しながら、「自然界の無常の営みと共同」する生き方を今日に伝えた。先人から引き継いだ知恵に、我々は更に何かを付加して、次世代に引き継がねばならない義務がある。
「人は何故生きるのか」「生きる為には、何をしなければならないか」「自然界に生存する我々の存在とは!」「何を意味するのか」を問われている。

  和辻哲郎博士の「風土」論を究明しようとする哲学者達は、死生観にも、人生論にも通じて、宗教論と共に盛んに論じられているが、私は此処で「これ等を究めるのは、安易では無い」の一言を申上げ、この場から逃れます。

�后法,爐垢�
●超高齢化が急速に進む日本の現況から、この世に生を受けてから、この世を去るまで、100年足らずの生涯のうちの一節にあたる十年間、「我孫子の景観を育てる会」に入会して、「景観とは」人間性に係わる遠大な思想で、<入り易いが、奥が深い>ものと、教わった。

●最後に、浅才の私が、未だ確たる論拠も会得していない侭で論じるには、おこがましい限りで有りましたが、過ぎし十年の想いを、拙文ながらも述べさせて頂きましたことに深く感謝致します。

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