『想像の坂』                 佐野 晃(会員)
「手賀大通り」とでも呼ぶのだろうか、坂の風景としては未完成の坂について書きたい。

イギリスの18世紀に、ランスロット・ブラウンと言う造園家がいた。チャーチルの生家であるブレナム宮殿の造園で有名であり、イギリス庭園の発達にも貢献した。この人にはケイパビリティー・ブラウンというあだ名がある。土地を調べて地勢・条件がよい庭園になる可能性を見て取ると、この土地にはケイパビリティー(可能性・素質)があると言ったので、その名が生じた。

どんな土地でも手をかければよい景観に転じ得るわけではない。その素質が必要だ。私は若松交差点から消防署に至る「船取線」にその素質を感じ取っている。

現在工事中の白亜の病院が完成し、環境が整えられ、道路両側の歩道に整然と街路樹が植えられ、西側の歩道に沿って、この一帯に相応しい建造物が、行き当たりばったりではなく、ある程度の計画に従って配置されることを想像してみよう。おそらくこの近辺に類を見ない美しい坂道となるだろう。

坂としての美しさで他に容易に得られない美点は、坂を下っていくときに眼前に近付いてくる手賀沼と手賀大橋の存在である。水と美しい緑は、都会の砂漠の中で見出すオアシスのように、人の心を惹きつける。

大橋を背に下から見上げる坂は想像力を要求する。右手の丘の頂上にあたかも山城の砦のように市役所がある。四角い大きな箱でないのがよい。高齢者など福祉関係のサービスを行う窓口が道路に沿った西別館に纏められている。市役所の坂を登らなくてよいようにという配慮だ。これも美しい。
市役所の少し北側に老健の施設「クレオ」が頭を覗かせ、その下に病院の白い建物が立ち上がることで、入院と在宅との間でリハビリ介護を担当する老健の存在が、ひと際くっきりと浮かび上がる。坂を更に上ると、我孫子東邦病院、看護学院が並び、この一角が市民の健康と福祉をテーマとして、一つのセンターを自ずから形成していく。これが機能美である。

すでにある施設、病院などを連携させて、機能的な相互関係を生みだし、それを核として、わが我孫子市の目標を、健康と福祉を中心とする田園都市に育てて行くならば、その機能美と、未来志向の精神の輝きによって、この坂の美観はいや増すことだろう。

坂の下、今や存在も危うくなったハケの道と船取線の接点に、小さな墓地がぽつんと一つ残り、一本の老木がその存在を守っている。40年前我孫子に越して来た頃のイメージそのままに、吹きさらしの暗い田んぼのあぜ道に立つ一本の木を思い出させる。それは新しいピカピカの道路や建物に対して、老いも死もまた人生の一部なのだと訴えかける象徴なのだ。なくさないように大事に保存したい。

[付記]この一角の機能が高まることで、人の利用が高まるだろう。病院の利用者、見舞いの家族、そう言った人たちが、美しい坂を見晴らして休息できる、明るくおしゃれなレストラン、コーヒー・ショップ、花屋、本屋、そして薬局などが病院の向かい側に美しく並ぶのを思い描くのは楽しい。それも健康と福祉の一部なのだ。
ちい(さな)散歩                    吉澤 淳一(会員)
(その1)熱い夏の夕方、孫たちと手賀沼公園に涼みに行った際に、こんな風景に出合いました。

メタセコイヤの並木の隣りに、2メートル四方の網の囲いがあって、中には木の苗が植えてありました。横の立て札を読んでみると、被爆アオギリ二世「1945年8月6日、広島の爆心地から北東1300メートルで被爆したアオギリの種から育てられた『被爆アオギリ二世』の苗木を、広島市から譲り受けたものです。」もう1本は、被爆クスノキ二世「1945年8月9日、長崎の爆心地から南東800メートルで被爆したクスノキの種から育てられた『被爆クスノキ二世』の苗木を、長崎市、から譲り受けたものです。」とありました。
・被爆クスノキ二世

被爆した樹木の種から苗木が育ち、67年の歳月を経てこうして日本の各地に蘇る。多分、海外にも行っていることでしょう。この2本の苗木が、平和の使徒のように思えました。

水面に小石を投げて、無邪気に遊んでいる孫たちを見ながら、小さな平和をかみしめました。帰りにアビスタに立ち寄ったら、会員の鈴木洋子さんが作った千羽鶴が飾られていて、ここにも平和の使徒が揺れていました。
(その2)残暑も終わりか、涼しい風が吹き始めたので、ある朝「いろいろ八景」の取材で、妻と桃山公園に行ってみました。当会寄贈の語らいベンチに座って周囲を眺めていたら、そこに見慣れない風景が出現していました。そこでは、2台のクレーン車と3人の作業員が、大きな樫の木と格闘しているのでした。よく見ると、大きく張った枝の葉は茶色に枯れかかっています。さらに良く見てみると、太い樫の木の根元近くまで、縦に大きな亀裂が走っていました。作業の人に訊くと、「落雷で真っ二つ」とのことで、自分の日記によればそれは8月6日のことでしょう。以前日立庭園でも赤松が裂けているのを見ました。落雷の怖さや、それを避ける方法はTV等で報道されていますが、改めて大自然の持つエネルギーの大きさを知りました。木の下は危険であることも知りました。

この樫の木は桃山公園のシンボルツリーで、高さは15メートルを超えていて、横に大きく張った枝は日蔭の憩いの場を作っていたのです。今はもう跡形もなくなっていることと思いますが、「ここにあった樫の木が落雷で裂けてしまった。落雷時は木の下は危険です」旨伝えておくことは、落雷の被害に遭わないためにも必要かと思い、そのことを市に伝えました。無残にも裂けてしまった樫の木のためにも。

・落雷にあった樫の木

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