日立中央研究所庭園(国分寺)を散策して                  酒井 弘(会員)
11月18日(日)快晴。春秋の年2回開催される「日立中央研究所庭園公開」に参加しようと、会員仲間10名で国分寺に出かけた。昨日の大雨がウソのようにスッキリと晴れ、絶好の散策日和。武蔵野線新松戸経由、西国分寺で中央線に乗り換え一駅、国分寺で下車。

駅内は大勢の同好の士と思われる人波で溢れ、研究所正門入口へ向かう歩道もやはり混雑しており、早くも園内の盛況ぶりが予想された。毎年約1万人の来園者で賑わうそうである。正面入り口で記帳を済ませ、鬱蒼とした樹木に覆われた道を奥へと進む。敷地207,000平方メートル(東京ドームの約5倍)。樹木はケヤキ、サワラ、サクラなど約120種類、27,000本を数えると云う。これに集う野鳥はムクドリ、マガモ、コジュケイなど約40種類に及ぶ。

入口からすぐのところにある「返仁橋」を渡り、突き当たったところが中央研究所である。白亜の建物の中に約800人の技術者などが切磋琢磨し、諸技術を開発しているとか。因みに返仁橋はその昔「変人橋」と呼ばれていたと云う。公開し多くの来園者が訪れるようになって、橋を渡る人々が変人では如何にも都合が悪かろう、とのことか。

都会の喧騒を離れ、自然豊かな森林の中でこそ、素晴らしいアイデアが湧くというもの。左手に折れて行くと、テント村が出現する。焼きそば、綿あめ、フランクフルト、チラシ寿司、たい焼き、お茶などを売っている。地元商店街・ボランティアの皆さんの奉仕である(と云ってもタダではない)。

テント村をさらに進み緩やかな坂道を下ると「大池」に出る。この池は面積10,000平方メートル、周囲800メートルもあり、園内数か所の湧水が注ぎ込んで出来ている。白鳥も見られる。池の水は水門を出て、「野川」へと流れ込む。「国分寺崖線(がいせん)(通称ハケ)の湧水」と呼ばれる。池の周囲をユックリ時間をかけて散策する。木々の多さに驚くが、日立製作所の創業社長・故小平浪平氏の「よい立木は切らずに よけて建てよ」の精神が現在も継承されている。

程よく疲れたところで軽くお腹に栄養補給。広場では数百人を超える人々がビニールシートを拡げ、思い思いの食べもの・飲み物(ただし、アルコール類は禁止)を手に談笑している。どうぞ思いっきり寛いで下さい。まさしく庭園開放である。公開と似ているものの語感に自由さが伺える。園内には十月桜(年に2回花を咲かせる)や御衣黄桜(花が緑色の桜)もあるという。

本部テントには、「次回の庭園開放は4月7日(日)」との貼り紙。とにかくスケールの大きい庭園である。紅葉には未だ早かったが、ゆったりと散策を楽しむことができた。
写真
日立中央研究所(国分寺市)の庭園
小休止の後は次の目的地、殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園へと向かう。

国分寺駅の反対側、南口から徒歩2〜3分の所に国指定・東京都立「殿ヶ谷戸庭園」がある。大正2年、後の満鉄副総裁となる江口定條氏の別邸として建てられ、昭和4年三菱財閥の岩崎彦弥太氏に買い取られて追加・整備され、和洋折衷の回遊式林泉庭園として完成したもの。昭和49年東京都が買収し、公園として整備し開園している。入園料は150円、但し65歳以上は70円と老人に優しい。無理をして150円払った仲間もいたが、その価値はあっただろう。有料庭園部分としては17,694平方メートル。園内の一番の見所は、国分寺崖線からの湧水を集めた池、「次郎弁天池」である。休憩所「紅葉亭」から見下ろす景色が大変美しく、紅葉最盛時の鮮やかな彩は如何ばかりかと、容易に想像出来るのである。

来園者もそう多くはなく、隠れた名勝というべきか。
散策を終え駅前の食堂で乾いた喉を潤しながら、今日1日の想いを語りあって帰途についた。

両庭園を散策しながら、素晴らしかったと思いながら、何となく物足りなさを感じていた。帰りの電車の中でウトウトしながら気が付いた。"手賀沼への眺望"だ。我孫子の日立総合経営研修所の庭園(※)は、中央研究所庭園の広さ・スケールの大きい景色には劣るものの、手賀沼への見晴を加えた景観の大きさは、決して引けを取らないであろう。我がまちの至宝 手賀沼・・・我孫子らしさの原点・・・。思索(?)はまだまだ続きそうであったが、起こされてしまった。

※日立総合経営研修所(我孫子市)は、14,180坪(46,794平方メートル)

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