初春の「谷中七福神めぐり」              瀧澤 正一(賛助会員)
早くも七草が過ぎたが未だ正月の内、一行は都内最古の「谷中七福神めぐり」に出掛けた。参加者は七福神ならぬ8名。内 弁天さま3名と初春に相応しく艶やかな初歩きとなった。

「谷中七福神」は、江戸後期に始まったと言われJR田端駅近くの「東覚寺」を起点に、上野不忍池の「弁天堂」まで点在する七福神をお参りした。
  コース一帯は、東京の街を形成する武蔵野台地を幾筋かの川が浸食して出来た台地と低地の一つで、「上野台」・「本郷台」と、間を流れる谷田川・藍染川流域(今は「暗渠」となり 川は見えない)の低地である。

まず、JR田端駅北口を出て左折。「上野台」の切通しを偲ばせる坂道を下り「東覚寺」(福禄寿)を参る。この寺は、身代わり「赤札仁王尊」でも人気の寺だ。

大通りを渡り谷田川流域の低地帯を行く。昔の面影を残す町並みがまだある。銭湯のある横丁を抜け、西日暮里駅前・「開成学園」前を通る。もう一つの切通し「道灌山通り」を渡って細い道に入る。

この道は「六阿弥陀道」といい、道筋には「青雲寺」(恵比寿)、「修性院(しゅせいいん)」(布袋尊)など多くの寺がある。この周辺は、江戸庶民が四季の花や景色を楽しんだ憩いの場で、日の暮れるのも忘れたことから「ひぐらしの里」と呼ばれたところ。今でも沿道の寺の門前に「花見寺」「雪見寺」「月見寺」などの碑があり、当時を偲ぶことができる。

一旦、左折してレンガ塀のある急な坂道を上る。
  ここが最近景観で話題の「富士見坂」である。国交省の「関東の富士見百景」にも選ばれたが、近年の高層ビル化で間もなく富士山が見えなくなりそうだ。街灯に付けられたシンボルマークの「富士の切り絵」も寂しげに見えた。

坂上の一帯は「諏方台」の絶景地として有名だったところ。「秩父遠景」「滝野川夕照」など12景が定められていたが こちらも今はビル景となってしまった。
  昨今、特に都会では「遠景」「借景」などの言葉は失敬され、死語となってしまうのでしょうか?

「諏方台道」から日暮里駅前の「御殿坂」通りに出て右折、「七面坂」「夕焼けだんだん」を下りると「谷中ぎんざ」入口。左折して再び六阿弥陀道に入る。
沿道左右には萩寺「宗林寺」・岡倉天心旧居跡で法隆寺夢殿を模した六角堂のある「岡倉天心公園」がある。この辺りは、藍染川縁で「蛍沢」といわれたところ、左折して 横丁の坂道(蛍坂・三年坂?)を上ると。観音寺の築地塀・「長安寺」(寿老人)に出る。

寺の門前を直進して「谷中霊園」に入り、中央園路の桜並木・「五重塔」跡を通り、「天王寺」(毘沙門天)をお参りする。この寺は、江戸時代に宝くじのルーツ「富突(とみつき)」興行で人気のあった寺。大勢の人で賑わい周辺には多くの茶屋ができ繁盛したという。

霊園を出た辺りは「三崎坂」を上り詰めたところ。 ここから上野の山方面に坂を下り「護国院」に向かう。坂の途中には、旧商家が点在し一歩横丁に入ると古の風情が感じ取れるところでもある。

坂を下り、右手角の「銭湯跡のギャラリー」横を入り、「自性院」(「愛染かつら」ゆかりの寺)・「一乗寺」横を直進して「護国院」(大黒天)を参る。
 堂内にある「大黒天画像」は3代将軍家光秘蔵のもの。

山門左手、上野高校沿いに坂道を下る。この坂は「清水坂」という。弘法大師が独鈷(どっこ)で地面を突くと清水が湧き出たという伝説の坂である。

この先右手に森鴎外旧居跡がある。小説「舞姫」ほか多くの作品を書いた鴎外が一時住んでいた処で、現在は「ホテル鴎外荘」の中庭に旧居が保存されている。

向かい側の木立一帯は「上野動物園」。さらに歩を進めると、最終点の「不忍池弁天堂」(弁財天)です。

「弁天堂」は、寛永寺の天海大僧正が琵琶湖の竹生島にならって島を築き弁天様を祀ったといわれている。

J  R田端駅を10時に発った「谷中七福神めぐり」約2時間8,000歩。初春の穏やかな天気に恵まれ、数々の神社仏閣へのお参りも無事果たすことができ、一行晴れやかな気分で上野駅にて散会した。
谷中

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