「新四国相馬霊場八十八ヶ所」を訪ねる(2)
             新四国相馬霊場巡り                                             濱野さと子(会員)
2013年7月9日(火)、前回に続いて取手市の4か寺を巡る計画である。私には、第1回の面目ない合流不能となった事実があった。心の奥底にそのリベンジを秘めて参加した。梅雨明け後に続く酷暑の日、朝から30度にも上昇。それでも、善男善女13人が取手駅に参集、8時45分。みんなニコニコ笑顔で、元気はつらつ。熱中症対策も万全。いざ、大師様の待つ聖なる地へ!

関鉄常総線「ゆめみ野」駅下車。ゆめみ野駅は、東日本大震災の翌日の3月12日に開業したという。周囲は、これから開発されそうな気配の風景が広がる。少し歩くと、森林の続く集落に入り、涼を得てしばし足を止める。そうこうしながら進むと、下高井の家並みの中、50番「東光寺」、そして49番「高源寺」にたどりついた。東光寺は、廃寺となって薬師堂が残されていた。高源寺は、立派な山門が迎えてくれた。本堂も立派。

檀家の人々の墓地も整い、境内も広い。茨城県の天然記念物に指定され、さらに「新日本名木100選」に選ばれている「地蔵ケヤキ」と称される樹齢1600年のケヤキと、樹齢1000年は超えるであろうと思われるスダジイの大木が見事である。

両寺の大師堂は、立派に引き継がれている。東光寺の大師堂は、銅葺き宝形屋根で、欄干には素晴らしい彫刻が施してある。高源寺の大師様も石造りの坐像である。ふくよかなお顔です。みんなそれぞれ、ご加護あれと、大師様にうやうやしく礼拝する。

下高井の家並みのはずれに、広々とした高井城址公園。横切って東へ野辺の道。すぐに小貝川の堤。足取り重くみんなで登る。悠々と流れる川面と周囲の景色が、わが我孫子のあちこちで見られる景色とそっくりだと気づき、ああこれが相馬の原風景なのかと思う。風は熱い。下ってすぐ城址の中にお邪魔する。

木々の茂る小径の周りに、ゆったりと人々が暮らしている。城址を抜けると、真新しい石造りの見事な鳥居が目に入る。妙見八幡宮だ。その右横の小道の先に大師堂が見える。52番明音寺だ。寺は、廃寺となっている。

数段の石段の上に、新旧2つのお堂が並んでいる。大切に引き継がれていることが分かる。旧堂の大師様は、竜の彫刻に飾られ、きれいに彩色された木造坐像である。新堂の大師様は、旧堂より高いお堂の中に石造坐像となっている。ここでご詠歌をしみじみ読むことに。
78番弥陀堂の前でメモをとる筆者
「たいさんへ のば(ぼ)ればあせの いでけれど のちのよおもへば なんのくもなし」
汗だらだら身だくだくの、今日のわれらをよくご存知。大いに励まされ、残りの路を勇む。

新相馬霊場が開かれて250年、古の巡礼の道は、どんなであったろうか。その面影を探すが、未熟な想像力では探せない。土地区画整理事業で、広大な宅地造成をしている。広い道も作られている。工事のおじさんたちと暑中を見舞い合っているうちに、野々井の78番弥陀堂に着く。

大師堂は、建て替えてから新しく、いたってシンプルですっきりしている。石の大師坐像が赤い羽織を着て、座布団の上に安置されている。木の香りもして、ほっと癒された。心満たされ、ゆったりと今日の出会いのお礼を申し上げたのです。
「願わくは この功徳をもって あまねく一切に及ぼし われらと衆生と みなともに仏道を成ぜん」

そしてほどなく、ゆめみ野駅、ちょうど2時間の巡礼の旅でした。私達のこの巡礼の旅は、9月に引き継がれることとなりました。詳細に下見をして、長い道のりを案内して下さった先達役の酒井さん、企画して下さった飯塚さん、ありがとうございました。

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