歴史景観散策会(一般参加) 松村 定雄(会員) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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第11回 「城跡と古利根を訪ねる」の記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●上記のとおり散策会は、市内の各地約3年余りにわたり訪ね歩きました。この間一般参加の方々は述べ300人を超え、当企画に寄せられた関心の高さに励まされ、後押しもされて、このたび再開しました。 ●梅雨明けの6月29日(土)に、一般参加者10名と会員スタッフ8名の合計18名が湖北駅に9時に集まりました。 ●今回のコースは林や森が多く、この暑さも凌ぎ易しと一同元気に天照神社に向かいました。住宅がびっしり迫っているが参道に入ると大樹が茂り、深林を想わせる静寂の一郭でした。祭神は伊勢皇大神宮と同じ天照大神で草創は古く、昔から近隣七郷の総鎮守として崇敬されているようです。境内には市の指定文化財の「二十一仏武蔵石板碑」があり、富士塚や伊勢講、月山詣碑など多くの民俗文化財があります。 ●涼しい参道を後にして356号を横切り、露路を曲がった先に、椎の巨木が茂り、その根元にひっそりと庚申塔群が並んでいました。庚申(かのえさる)の日は、夜通し寝ないで過ごしたという民間信仰が、これらの石塔によって今日に伝承されているようです。 ●斜面林に沿って小さな坂を下ると法岩院に出ました。 美しい境内を抜けて左奥の丘の上に直行しましたが、この一画には芝原城主の河村出羽守勝融氏の立派な墓があり、周囲には当寺の代々の和尚さんらしき墓石が、城主に従うように並んでいます。寺の裏口を抜けて日の出通りを横切ると、細い道が古利根沼に続いています。 ●江戸初期の利根川東遷のあと、明治の流路変更で取り残されて、今は静かな沼となり釣り人の楽しむ水辺です。崖の中腹に座す「波除不動尊」は荒波の寄せない今、手持無沙汰なご様子でした。 |
●沼の南、急な坂道を進むと、古利根公園・自然観察の森に出ます。この台地は、市内最大の中世の城郭で、芝原某氏の築城のあと、後北条氏の家臣河村氏が入城し、中峠城と呼んだといわれます。天正14年(1586年)豊臣勢の小田原攻めに遭い討死され城も落ちましたが、城代であった林伊賀守順道が従士32人と共に自刃した悲話が語りつがれて、近くの順道塚にその遺跡を見ることができます。 ●コースを歩き終えて約3時間でしたが、途中には豊かな森が多く、自然を満喫しながらの歴史を体感して歩く楽しい散策会でした。
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