第12回 歴史景観散策会(9月16日) 竹内神社 例大祭          山中 浩一 (会員)
竹内神社例大祭は震災を経て二年ぶり復活、利根川の水運で栄えた江戸期から伝わる御祭りで、9月の敬老の日を含む土、日、月に行われる。 町内5ケ所(上町、一丁目、二丁目、三丁目、大和町)が当番制で、今年は上町が当番に当たった。

今年は9月14日(土)御輿渡しの神事で始まり、16日(最終日)の夜祭は御輿と5基の山車(神楽屋台)の競演は「競争」と言われている。16日(最終日)夜祭は御仮屋前(スーパーナリタヤ駐車場)に、各町内山車が午後7時に向けて集まり,又一方当番御輿も町内を練り歩き御仮屋に向かう。

今回当番(上町)の山車は不参加でしたが、4基山車と御輿が午後7時には勢ぞろいして、開始前には山車の前で、若人が輪になって踊りを披露する光景も。夜空にハッピが美しく映えていた。毎年見物客が多い為、見所を考えて今回は竹内神社に入る前の山車回しは中止した。

午後7時なごやかムードの中、号砲(花火の合図)が夜空に響き、4基の山車(神楽屋台)が、太鼓に合わせて舞踊りを始める。御輿が各町内の山車に向けて一基毎に挨拶が行われ、この光景『御輿と山車』は数分間にわたり、御輿の御神体に町内願を舞で披露する光景。

特に御輿が山車の前に近づくと、担ぎ手が上に持ち上げる動作はかなりの力を要する。一基毎の挨拶は5分から10分間続き4基が終わるのに午後8時に近くなっていた。

午後8時過ぎて、御輿を先頭に4基の山車が竹内神社に向かう。国道356号線の交通規制が午後9時の為に、竹内神社の入り口山車回しは9時前には鎮魂文化の能楽「安宅」「俊寛」「敦盛」「船弁慶」「源氏供養」を怨霊で表している。終わって、御輿の宮入が開始され、神社に向けての階段上がりが始まった。階段上がりは雄大で、神社側から登ってくる御輿の光景は闇の夜空に、掛け声が勇ましく響きわたって、見物客の声と重なりどよめきに感じられた。

御輿が神社に無事に到達した時点で再び号砲が鳴り、各町内の提灯が並び御輿が神社脇の獅子舞(屋台)に、町内毎の祈願を伝える儀式が行われた後、御輿の御神体を神社に納めて宮入(午後9時40分)が終了した。

 当日境内で警備をされていた方(昔御輿を担いだ方)に「御輿の上の鳳凰は何時も前を向き、右側回りする様にと言われているので、担ぎ手も右側は大変。また階段下りが一番気をつかう。

年々若者が減小し、担ぎ手が不足している為、伝統の儀式を守る事は大変である。布佐の町が震災で液状化し、痛手を受けて復興途上にあることを『心、ひとつ』にして盛り上げている」と聞いて、伝統の大祭の素晴らしいことを再認識致しました。来年も時間をとって今回見ることの出来なかった山車回しを楽しみにしていますが、我孫子の文化を皆さんも味わっては如何ですか。
 『手賀沼の船上見学会』                         佐々木 哲明(会員)
「手賀沼流域フォーラム」の毎年の恒例行事となりつつある『手賀沼の船上見学会』が我孫子の景観を育てる会の企画イベントとして10月6日に開催され、運営スタッフの一人として参加してきました。
天候の関係で、実施日が一日順延になったため、参加者が19名(遊覧船定員40名)とややさみしい状況だったのは残念でしたが船上からあるいは中間で下船しての手賀沼を巡る歴史景観を紹介いたしました。

今回は、手賀沼関連資料に追加して、手賀沼のほとりに暮らした我孫子ゆかりの人々についての資料も配布しました。この日の特筆事項の一つとしては、手賀沼の沼面を飛翔する珍しいミサゴ(主に魚を捕食する猛禽類)が見られたことでした。


訂正:57号の「歴史景観散策会10回の記録」の内、第10回を10月「手賀沼の歴史景観を観よう」に訂正します。

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