文学作品の中の<景観> -2-
              「沼のほとり」 中 勘助               
伊藤 紀久子(会員)
大正時代、手賀沼湖畔に身を寄せた多くの文人の中に「銀の匙」の作家、中勘助もいた。大正9年、35歳の時、中は我孫子に一時住むこととなった。 「沼のほとり」は、仮寓となった高島家の屋敷で書かれた日記文学である。その一部を紹介し、当時の沼辺のおだやかな様子を思惟したい。
《大正十年一月一日》うららかな日和になった。私は縁の柱によりかかって、足をのばして日向ぼっこをしている。雪どけの水の落ちる音がする。沼は温かさうにとろりとをどんでゐる。懸けほした唐辛のてらてらとした赤い色。私はことに裸木の幹や枝を美しいと思って眺めてゐる。それは都會の樹木には見られぬやうに自然に、のびのびと味ひ深く生長してゐる。
《二月二十二日》午後。陰鬱な雲がすっかり消えて晴れはれしい日になった。緑の丘の松、赤黒い杉のあいだに榎かなにかほんのりと赤らんで、鳥の綿毛のやうにふわふわと枝をひろげてみえる。沼はてらてらと淀んで鰻かきの舟が出てゐる。舟のうへの人は千年も萬年もさうしてゐるかのやうに倦まずたゆまず單調な動作をくりかへしてゐる。
《四月二十一日》青青とした麦ばたけ。鬱金いろの菜ばたけ。豆ばたけ、らっきょうばたけ、桃ばたけ。私は眠たいやうな気もちになってそれらの畑のあいだを逍ひあるく。雲雀がなく。鶯がなく。燕がめまぐるしく飛びまはる。ぼけの花。すみれ、たんぽぽ、きんぽうげ。菫は濃い紫のが好きである。葉の形もいい。夜。蛙の聲はこよない守唄である。
《大正十二年十一月十六日》・・・・・・私はまた渡鳥のやうにこの沼べを去ろうと思ふのである。
「沼のほとり」 中 勘助 岩波書店
中勘助 1885年−1965年 夏目漱石に師事、「銀の匙」で漱石に認められ文筆の道に入った。
生涯を通じて華々しい存在ではなく、志賀・武者小路らと親しくも白樺派とは別な作家である。
当時の沼辺に咲く花の数々、鳥、泥鰌とりのこと。仮寓の庭先の兎を追い込む様子、農家の人とのやりとりを通して中勘助は心の安寧を得られたのではないか。 またそれは沼の持つ独特な気息から醸し出される力かとも思う。
 鏡で見る景観 -日立総合経営研修所庭園公開で-                   佐野 晃(会員)
数年前、庭園公開に初めて足を運んだ折、観月亭の卓上に長方形の小型のガラス板が数枚置いてあるのを見ました。板の中心は楕円形の鏡になっています。風景と鏡とどんな関係があるのか、考えて行くうちに、40年ほど前イギリス人の崇高美の発見について読書していて、旅行者が英国の平板な自然風景の中にそれらしい美を感じさせる景観を見出すと「クロード・グラス」と呼ぶ鏡で切り取って鑑賞したとあったのを思い出しました。それが200年以上昔の流行に私たちの興味を引き寄せる切っ掛けとなりました。

18世紀の後半イギリスで風景美の鑑賞が流行しました。当時プッサンとかクロード・ロランなど、17世紀のローマで活躍したフランス人風景画家の絵が人気を呼び、「クロードの絵のような」美しい風景を求めて、造園家、画家、アマチュア旅行者などが風景を探索して歩きました。その時彼らが携えていたのが「クロード・グラス」だったのです。
現在、実物を目にすることはほとんどできませんが、ウィキペディアには黒い少し大きめのコンパクト様の写真があります。蓋の内側に鏡が装着され、しかるべき風景に往きあうと、風景に背を向け、ケースの蓋を開けて肩の高さに鏡を支えて景観を鑑賞しました。鏡は概ね円形で凸面鏡であり、中心の対象が大きく強調されます。ガラスは黒く色付けされていたそうです。

諸説ありますが、筆者は、ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」で実験した「空気遠近法」の応用だと考えています。これは、遠方の対象が固有の色彩を失い青みを帯びてかすむことで空間の奥行きを暗示する技術で、西洋絵画の様相を一変させたと、高階秀爾氏は言っています。私たちが庭園公開で手にする鏡にはこれらの工夫は全て省かれていますが、景色の中の一番美しい所を切り取って鑑賞するのに役立つでしょう。

■もどる