第18回 景観散歩
            栃木県さくら市のお土産 
               遠藤 恵子(旧村川別荘ボランティアガイド)
前回の埼玉県行田市に続き、二度目の景観散歩に参加させていただきました。

今回は、栃木県さくら市です。宇都宮の北東部にあり、足利氏の城下町であった喜連川町と氏家町とが合併してできた市です。私たちは喜連川地区を訪問しました。

前夜は暴風雨でしたが、当日は高速に入るころには紅葉の映える快晴となり、絶好の散歩日和でした。車中では幹事さんが用意してくれた喜連川クイズで盛り上がりました。やがて喜連川庁舎前でバスを降り、大正時代の警察署をそのまま使ったというレトロなレストランで、まずは美味しい昼食をいただいてから、ガイドさんの案内で散策に出かけました。喜連川神社の樹齢300年の大欅を見た後に参拝し、鳥居脇の若山牧水と地元の歌人高塩背山
(※1)の歌碑が紹介されました。

時をおき老樹の雫おつるごと
       しづけき酒は 朝にこそあれ
   牧水
かぜとよむ桜若葉のあいだより 
      のこれる花のちるはさびしき    背山


親しき友と言葉は交わさずとも、酒を酌み交わす馥郁とした時間を詠う牧水の和歌、その傍らに寄り添う背山の歌は、旅に遊び歌を詠む友を憧憬しつつも羨んでいるような気がします。
そして、防火と農業用水を兼ねた「御用堀」、「武家屋敷跡」、第六代足利茂氏が推奨した笹を使った生垣「寒竹囲いの家」などを見学し、最後に訪れた足利氏の墓所龍光寺の門の傍らにあった小さな句碑に彫られた句

ちちははを ふところにして 初詣  恵泉(※2)
という、あたたかく、やわらかな響きの句が心に残りました。
家に帰り、改めて冊子や地図を読みますと、ちいさな町の至るところに歌碑、句碑が建てられている事がわかりました。誰もが知る若山牧水や、子規門下の河東碧梧桐など著名な歌人、俳人の碑をはるかに上回る、八つもの背山の歌碑があるのがわかりました。

雲湧きて 全山動く 新樹かな
という恵泉の句碑も建てられています。和歌と俳句ですので比べるのは無茶なのですが、力強くおおらかな恵泉の句に比べると、背山の和歌は心の奥深くを旅するような情緒あふれる歌風だと感じました。 

歌碑に詠まれた背山の歌には、秋を詠った

流れゆく時の浪間に浮しずむ 
        物こそ見ゆれ秋はさびしき


また、旅をゆく牧水を詠んだこんな歌もあります。
ひぐらしのいそぎてなけばゆくりなく 
        思いぞいつる君の旅姿


知性も教養も高い文化人であり、慎ましく勤勉な町の人々に敬愛されていたに違いない背山です。しかし、自然の情景を心象に重ねて読むその歌には、東京や広い世界への憧れ、内なる寂しさ、哀しさが仄見える気がして、晩秋の夜深、背山に思いを馳せました。
背山、恵泉に出会えたことは、さくら市からいただいた大きなお土産でした。
貴重な資料を提供していただいた喜連川支所の皆さん、丁寧に案内をしてくださったガイドさん、休みを返上して美味しい昼食を用意してくださったレストラン「蔵ヶ崎」さん、そして幹事さんの心のこもったお世話に感謝です。
尚、展望台にもなっている「お丸山公園」(大蔵ヶ崎城址)は、東日本大震災の被害で閉鎖中でした。
※1 高塩背山(1882〜1956年)
喜連川が生んだ自然歌人で、中央歌壇にその名を留めた。生涯、喜連川の自然と人生を清明な心で歌い続けた。若山牧水(1885〜1928年)とは兄と弟ともいうべき親しい間柄。歌集「狭間」「移りゆく自然」など。

※2 金子恵泉(1912〜1998年)
喜連川に生まれ、戦後は日本大学教授として勤務の傍ら、俳人として松尾芭蕉の研究者として活躍。1956年(昭和30年)俳句結社「麦兆社」を主宰、栃木支部は喜連川にあり、ご子息の義昭氏(如泉)が継承している。

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