第19回 景観散歩 木更津市(2014年5月29日)                      宮内 昭男(会員)
五月晴れにも恵まれたので、何かわくわくした気持ちで、我孫子のふれあい広場を出発しました。海コースの柏インターから羽田経由でアクアラインに向かい、「海ほたる」で休憩しました。そこからの東京湾は今でも思い出すことができるほど印象的でした。その「海ほたる」から木更津までは高架橋なので木更津港にある日本一高い歩道橋の「中の島大橋」を見ながら木更津市内に入りました。

この「木更津」の地名が広く大衆に知れ渡ったのは、「しがねえ恋の情けが仇」の名せりふで知られる江戸時代の当り狂言「切られ与三」とされていますが、平成生れのあなたは「木更津キャッツアイ」の映画だと思ってはいませんでしょうか。

千葉県は、明治時代に当時の木更津県と印旛県が合併してできた訳ですが、なぜ木更津はその一方になり得たのかの疑問に、この景観散歩で解決することができました。

そこで見えてきたキーワードが、江戸時代のアクアライン「木更津船」です。この「木更津船」は、木更津港から日本橋に特別に作られた「木更津河岸」との間を往還し、木更津に江戸の風俗・文化・富をもたらし、寺町通、旅籠屋通、海岸通が競うように栄え、それが「木更津千軒」と言われたとの説明を聞き、この繁栄が木更津を「県」にまでした原動力だと思いました。

 古代においても木更津は、東京湾を渡って上総に行く官道に位置していたことから、日本武尊の伝説を始めとし、古墳や出土品が多く、このことも木更津景観散歩の胆だと思いました。
前置きが長くなりましたが、今回の景観散歩は木更津駅から東京湾に向かって走る「富士見通り」を境に、左側地区と右側地区を2組、約20人ずつに分けて午前と午後の交代で散策致しました。私が印象に残っているのは、次の場所です。

1.ヤマニ綱島商店 : 江戸時代からの土蔵作りの乾物屋で、運が良ければ買えます。
2.光明寺(写真) : 切られ与三郎の墓があり玉三郎、仁左衛門の卒塔婆も見られます。
3.木更津会館 : 県内唯一の「見番」で現在も芸者衆の稽古場となっている所。
4.證誠寺 : 「しょうじょう寺の狸ばやし」の童謡に歌われた寺。
5.八釼八幡(やつるぎはちまん)神社 : 日本武尊の伝説が伝えられ、関東三大神輿が納められています。

この他、鳥居崎海浜公園にある、見染めの松、木更津甚句碑、海鮮茶屋、があり若者向けでは、みまち(狸)通りのお店に置いてある、各種のかわいい狸の置物や「木更津キャッツアイ」のグッズ等が目につきました。

帰りは内陸コースで、国道16号に入ってからは、ゆったりした気分で次の景観散歩の夢をさまよっている内に、我孫子に着いた人も見受けられました。
旅先での出来事
  今回の景観散歩では、大事には至らなかったが、アクシデントがあった。男性メンバーのAさんが身体に不調をきたしたのである。
 Aさんの了解が得られたので、今後の参考のためにその経緯について記しておく。

 バスが光明寺に到着し、境内でガイドさんの説明を受け、市内散策に出かけた直後、少し遅れて歩きだしたAさんの足がもつれ、その場にうずくまったのである。暑く直射日光もきつかったので、そばの本堂横の日陰に仰向けに寝かせたが、本人の意識はしっかりしていた。数人で相談し、病院で診てもらおうと救急車の手配をした。幹事の二人を残して、他の方はそれぞれの班を追って出発してもらった。一人は救急車に同乗付き添い、もう一人の幹事は付き添いの幹事及び各班との連絡係になってもらった。Aさんはやがて近くの病院に入った。
 病院での措置を終え休養したAさんは、出発時間の午後3時には集合場所に姿を見せ、一同安堵した。Aさんは、症状、既往症、服用中の薬等をしっかりと救急救命士に伝えていたのが印象的であった。健康保険証も携行していた。Aさんは、服用中の薬による低血糖が原因ではないかと話していた。

  意識を失う事態も想定すると、参加者は服用中の薬、かかりつけの病院、既往症、緊急連絡先等を記したメモ、そして健康保険証を携行してほしいと思う。
  今回のことは高齢者の私たちにとって決して他人事ではなく、催事の参加に当たっては自らの体調を十分に判断し、無理をしないことが大切であると、改めて思った次第である。(文責 吉澤)

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