新四国相馬霊場巡り
               巡礼11日目 いよいよ結願                     
酒井 弘(会員)
●平成25年6月4日にスタートした「新四国相馬霊場八十八ヶ所」(以後「相馬霊場」という)巡りも、本日(平成26年5月9日)最終日を迎えることとなった。のっけから理屈っぽい話になり恐縮だが、11日目としたのは八十八ヶ所を一巡したことをもって1回とし、その一巡に要した日数を言いたかったからである。

●さて、本企画を終えるにあたって、改めて霊場巡りについて簡単に纏めておきたい。
  本場の四国霊場は弘仁6年(815年)、弘法大師(空海)が42歳のときに開いたとされ、今年は開創1200年目に当たる。阿波国(徳島県)の霊山寺(りょうぜんじ)を発願寺(ほつがんじ)とし、土佐国(高知県)、伊予国(愛媛県)を経て、讃岐国(香川県)の大窪寺(おおくぼじ)を結願寺(けちがんじ)とする総巡拝距離約1400kmで、一巡するには40〜50日程を要する。

●このように多大の時間とお金と体力が必要とされるところから、巡礼困難な人々のために、各地にミニ四国霊場(新四国霊場)が開かれた。

●相馬霊場もそのひとつで、観覚光音禅師が50歳頃、宝暦10年(1760年)から約10年をかけて開創したものである。取手の長禅寺を発願寺とし、我孫子、柏の霊場を巡り、再び長禅寺にもどり、結願寺(88番)とするものである。総巡拝距離は約70kmで2〜3日掛けて巡拝する。

●「相馬霊場」と称するのは、明治11年に柏・我孫子が東葛飾郡に編入されるまでは、下総国南相馬郡に属していたことによる。取手は北相馬郡。相馬霊場は取手市58、我孫子市26に加え、同市布佐に89番目の札所(浅間神社)があり、柏市4で計89ケ所の札所がある。四国霊場との違いは、各寺社に「札所」があることで、大師堂(札所)は大師信仰の聖なる場所とされている。霊場巡りが「大師参り」と云われる所以である。また札所ではないが、巡拝の途中で特別に立ち寄る(休息所ともなる)「掛所」があることも特徴である。取手市に2ヶ所、我孫子市に4ヶ所ある。

●四国霊場、相馬霊場ともに1日平均約30kmの道のりを歩くのだが、これ程の長い距離を数日間連続して歩けるものだろうか、と考えた。往時の人々が歩いてきたのだから疑いようもないことなのだが、小生の手賀沼1周約20kmのウォーキングの経験からして、翌日もう一度という気にはなれない。舗装された見通しの良い平らな道を、ウォーキングシューズというハイテク製品で歩いたとしても、である。ましてやゴロゴロ道を草鞋で・・・ふと、俳人正岡子規のことを思い出した。

●子規が夏目漱石と大の親友、というよりもお互いにその才能を認め合い尊敬し合う心友であったことはよく知られている。その漱石の作品に『木屑録(ぼくせつろく)』がある。夏の房総紀行文とも云うべきもの。

●明治22年8月7日、友人等4人で房総を旅した漱石が、子規ひとりに読んでもらうために書いた漢文の紀行文である。東京府霊岸島から汽船で房総・保田へ渡り、館山から海岸沿いに銚子まで歩き、利根川を上り途中から江戸川を市川まで下ってくる23日間と云うゆったりした旅であった。しかし漱石は子規に読ませる『木屑録』の執筆に忙しく、とても物見遊山という訳にはいかなかった様である。

●一方、『木屑録』に感動・感心した子規は、これもまた漱石ひとりに読んでもらうため、同様に紀行文を書こうと決意し、明治24年3月25日に房総の旅に出る。市川・佐倉・成田・小湊・館山・保田等を歩き、海路霊岸島へと渡る、8泊9日の旅であった。このとき書かれたのが春の房総紀行文『かくれみの』である。子規は殆ど8日間歩き続けた。1日平均約30km。22年5月に結核のため喀血していた身であったこと、旅立ち2日目には足裏に沢山のマメが出来ていた(『隠蓑日記』)ことなどを考えると、相当無理をした旅であったろう。しかし、野球に熱中していた子規のことだから、案外と健脚だったのかもしれない。現代の我々は如何であろうか。

八十九番札所での筆者
●話を本題に戻そう。
JR成田線・布佐駅に集合した遍路一行は14人(女性9・男性5)。本日の巡拝札所を順に記していこう。

��41番札所「稲荷神社」。布佐下通りの傍らの境内には、大師堂や三峰神社、天神社、水神社が稲荷神社を囲むように祀られている。

��89番札所「浅間神社」。神社の急な階段の下に札所がある。光音禅師が88番札所全部を創り終えた或る時、「光音」との呼ぶ声で、この地に札所創りを示唆された、という話が伝えられている。番外89番の由縁である。

�2翅校劼罵0譴療径羹,任△襦崗‖�院」には、21番と37番札所がある。21番札所扉のガラス窓は、何故かこぶし一つが入る程度にくり抜きされており、「浄財口」と貼り紙されていた。お賽銭が確実に仏様に届くようにとの思いか。

��24番札所「延命寺」。参道奥に虚空蔵堂、その手前に向かって右に大師堂、左に光音堂が建っている。虚空菩薩は山門左手奥の薬師堂の薬師如来と合わせ、眼病快癒の仏様として知られていたそうだ。

�ズ埜紊蓮�58番札所「観音堂」。大師堂は御堂に向かって参道右脇に3棟並んで建っている。ここで一行は11日間に及んだ巡礼行最後の拝礼を終えた。およそ信仰とは無縁な小生も、この時何故か胸に迫るものを覚えた。

●観音堂近くの洒落たイタリアンレストランで昼食兼打ち上げ。これまでの疲れを労り、健闘を称え合った。

●かくして長きに亘った相馬霊場巡りも無事終了した。善男善女が多かったこともあってか、全行程好天に恵まれたことは幸いだった(巡礼が終わったのを見計らったかのような雷雨があったのも一興だった)。我々がスムーズに巡礼出来たのは、リーダー飯塚三雄氏と節子夫人の入念な下見のお蔭である。深く感謝を申し上げたい。

●全行程を踏破し満願となった方々は勿論、残念にも満願が叶わなかった方々にも神仏の多大なるご加護・ご利益がありますように、心よりお祈り申し上げます。
「南無大師遍照金剛」「同行二人」・・・・・合掌

参考文献:「新四国相馬霊場八十八カ所を訪ねる」
我孫子市史研究センター編

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