第21回景観散歩=佐倉市=5月19日
                     佐倉市を景観散歩して
                                     梅津 一晴(賛助会員)
私は、若い時に佐倉の街に立寄った事があります。城址公園入り□で美術館を覗き、素敵な街だなと印象を持ってから、好きな県内の町一番になっておりました。この度、その他の名門県立佐倉高等学校出身という瀬戸さん、濱野さんと一緒に佐倉の街を訪ねる事が出来て一層の親近感を持って散策をしました。

国登録有形文化財 佐倉高等学校記念館

まず初めに訪れた佐倉高校記念館は、職員室などに使われ、学校らしいですね。部屋には印象派ルノアールの婦人像を模写したと思われる素敵な絵が飾ってありました。庭木は鬱蒼とした広葉樹のさわやかな新緑が私を癒してくれました。校舎はシックなペンキ塗り。私の母校は東北の田舎、藩主には無縁の名門?校、風化で黒ずんだ木目の見える板張り、洒落っ気は全くありません。羨まし!!
佐倉高校にて教頭先生の説明を聴く
佐倉順天堂記念館は佐藤泰然という方が明治の世25年前の1843年に開いた蘭医学塾だそうです。治療で使用した医療器具は大工道具を想わせるものばかり、治療を預かる医者も患者も必死に立ち向かった姿が戦慄を持って思い起こされます。その真剣さは後輩順天堂関係者に脈々と伝道されている事でしょう。

芝生の庭は広大で、順天堂の学風か深々と感じられる歴史景観を見ました。瀬戸さんは東京の順天堂で健康診断を受けておられますが、その訳が判り感服しました。

武家屋敷は,県指定有形文化財として保存されている三百石、百五十石、九十石の俸禄を持つ居宅が並んでおりました。我孫子市市佐には、享保(1720年代)改革で手賀沼新田開発に携わって築き上げた、藩主にも見劣りしない井上家の立派な住居構えがあります。武士の住居は、それに比べかなり質素であり、支配階級の徳川武家社会は質素に暮らし農民を大切にしていた様の一端を見た感じを受けました。
武家屋敷跡
旧堀田邸の玄関構えは、布佐で新田開発に参加した近江商人井上邸の構えに似ていますが、一回り大きく、藩主を送迎する立派なものでした。部屋には芸術的品格のある欄間や文明開化で仕入れた品々を見る事か出来ました。

佐倉の景観は、鎌倉とは異なりますが、源氏が築き上げた生活様式、文化に通じているのでしょうか。京都、奈良の優雅な宮廷文化とは違った武家社会の中に芽生えた地味ながら心休まる生活空間は、遺産となって生き続け、共通した関東の景観・文化を創り上げているのでしょう。佐倉ではその他に医学発祥という教育文化が加わります。

明治6年市佐に小学校が開校しましたが、初代校長先生は佐倉藩で私塾を開いていた松倉潜蔵という方でした。布佐八景を漢詩で詠い上げた方です。佐倉の人には大変お世話になっているのですね。

堀田邸の庭園にて
我孫子の歴史的建造物、古代等の遺跡は、丘陵と手賀沼が一体になった自然環境の中にとけ込んだ歴史的風土・景観を創っております。佐倉でそれと異った近世江戸末期の歴史風土・景観に浸る経験をさせて頂き、大変有意義な一日でした。

ポランティアガイドの皆さん、幹事の皆さん、ありがとうございました。

川村記念美術館庭園

旧堀田邸 正面玄関前にて
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