我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第69号 2015.9.19発行
編集・発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
  今年度新設の景観総合研究所が活動を開始した。当研究所には、景観の基礎研究及び我孫子の景観に関する課題研究のための、シンクタンクとしての役割を期待している。
  最初に「我孫子景観基礎研究その1」として、杉村楚人冠の"手賀沼ビジョン"についての考察を、4回に亘って掲載していく。
我孫子景観基礎研究 その1:杉村楚人冠の"手賀沼ビジョン"に関する考察 
                                                                            建築家・工学博士 野口 修(会員)
■杉村楚人冠の"手賀沼ビジョン"−1
我孫子景観の基礎研究として、まず最初に杉村楚人冠が描いた"手賀沼ビジョン"を探ってみたいと思った。平成24年に本会が発行した『楚人冠のメッセージ -愛する手賀沼と共に- 』でも読み取れるが、建築家の視点から観て、楚人冠の著作には日本の近代化という時代の趨勢に立ち向いながら、手賀沼の美しい景観を守ろうとする"地域創生"のアイディアが散見される。ただし、用いられた言葉の歴史背景を正確に踏まえておかないと、楚人冠が根差した理念を見誤ってしまう可能性もある。

例えば「田園生活」という言葉。この言葉は、建築学において"近代都市計画の祖"とされるイギリスの社会改良家エベネザー・ハワードが、自身の著作『明日の田園都市』(1902年[明治35年])で提唱した都市論と関係する。ハワードの「田園都市」とは、産業革命と資本主義が浸透するなかで、スラム化が進む都市労働者の生活環境を「都市と農村の結婚」、すなわち都市の社会・経済的利点と農村の優れた生活環境を結合した"第三の生活"により解決するものである。『明日の田園都市』では、自然との共生や自律した職住近接型の都市像が詳細に描かれ、この理論に基づく実験都市が、ロンドン郊外のレッチワースに建設されてもいる。

一方、日本では独自にアレンジされた「田園都市」が紹介された。紹介したのは内務省地方局有志編纂の『田園都市』(1908年[明治41年])。ハワードを含む類似事業を、カタログ的に集めたセネットの『田園都市の理論と実際』を下敷きとするこの著作では、緑豊かな敷地に建つ欧風住宅街の写真ばかりがクローズアップされ、背景となる都市理念が無視されてしまった。

結果、渋沢栄一らの田園都市株式会社が、高級住宅街「田園調布」を造ったように、資本主義が生む生活環境の格差を問題としたハワードの理念とは、真逆の方向で消費されてしまった。

このように多様な解釈がなされた「田園都市」であるが、楚人冠が用いる「田園生活」の根源には、どのような都市理念があるのだろうか?非常に興味深い。
下図:ハワードによる田園都市のダイアグラム〈出典:E.ハワード『明日の田園都市』〉
■図の解説
左は田園都市のイメージ図
  中央の母都市の周りに6つの小都市を衛星状に配している。母都市をとりまくリング状の運河、赤線の地方鉄道、都市間を繋ぐ運河、中心から放射状に延びる幹線道路が模式図化されている。

右は都市内部の拡大図
  幹線道路に挟まれた扇形の中心には花壇をとりまいて市役所、博物館、図書館他が配され、その外側に中央公園、定住地が続く。定住地を二分化する GRAND AVENUE には学校や教会が配され、定住地拡大を抑制する役割も果たす。想定人口は、3万2千人。鉄道沿いの工場は経済の自立を促し、都市と田園の生活が一体化した「田園都市」が完成する。
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