「我孫子のいろいろ八景歩き」が始まりました。各コース参加者のレポートを紹介します。
☆高野山台地の八景と古墳を巡るコース(12月13日)             岡嶋 久彌(我孫子市)
天王台駅を南へ下り約10分、最近できたばかりの大型コーヒー店の前を通り、日立の研修所へ向かいました。研修所は松林が素晴らしく、モダンな建屋と自然林との調和も見事な所でした。桜や紅葉の季節はさぞかしと思った次第です。

かつては日本郵船の社長の別荘で、昭和32年に日立の研修所になったそうです。私は大学生時代の昭和40年ころ、研修中の父を訪ねて行ったことがあり、久しぶりの訪問となりました、縁あって、我孫子に住まい約40年になりながら、一度も行ったことがありませんでしたので、本当に懐かしい限りでした。

次に日立坂を下り、ハケの道へ出ました。ハケの道は根戸から新木まで続く長い道で、大昔は手賀沼や印旛沼、牛久沼は全て海であったとの事。ハケの道の上の高台には多くの古墳群があり、水神山古墳の下からは「水神」の字の如く湧水が溢れだしていました。水神山古墳は69メートルに及ぶ本格的な前方後円墳で、この辺りは古代大和朝廷とも関係のあった所との事。

私はとっさに、奈良の「山の辺の道」と古代天皇の古墳群を思い出しました。天理から桜井にかけての「山の辺の道」は山裾に古墳が連なり、その下に山の辺の道と田畑が広がるのんびりとした心休まる所です。ハケの道と我孫子の田畑も良く似ているなあと感心しました。こんな近場に古代のロマン香る所があろうとは思いもよりませんでした。
高野山桃山公園・前原古墳前から手賀沼を望む
「何故、我孫子が多くの文人や事業家の別荘地として好まれたのか。それは古代から変わらぬ風景が守られていて、水にも恵まれていたから」というガイドの方のご説明には大いに納得致しました。近くには駐車場も整備されており、これからは何度も散策に訪れてみたいと思います。

最後になりますが、「我孫子の景観を育てる会」というネーミングは前向きで、行動的で大変良いと思います。
※岡嶋さんはこれを機に当会へ入会されました。
☆白樺派の散歩道と水辺のまちなみコース(12月20日)         石橋 淑子(柏市)
けやきプラザの展望台から富士山と筑波山を望んでから、快晴のなか出発しました。商業地区を抜けて坂を下りると、最初のステージ杉村楚人冠邸跡にタイムスリップします。そこからの散策路は大正から昭和初期の景観が広がっていました。白樺派の文学館や邸宅跡、小径の湧水などを拝見して、文学、陶芸、音楽と沢山の足跡を残した方々に愛された干拓前の広い手賀沼の眺望を想像いたしました。

子の神大黒天では足が痛まないようにと金属製の草履が祀られてあり、寄進坂の石柱に一円とあるのを「当時の一円はどのくらいの価値があったのかしら」と考えながら、21世紀のまちなみ八景に戻ってまいりました。

手賀沼公園[右の写真]では、子供たちや家族づれや水鳥を見て、平和が湖のさざなみのように穏やかに広がっているのを感じました。

この手賀沼公園には原爆の爆心地広島から寄贈された被爆した石が、平和のモニュメントとなっているそうです。私達は70年前、莫大な犠牲を払って今日の平和を築き上げました。そのことを忘れてはならないと思います。

天神坂から三樹荘、柔道の嘉納冶五郎の別荘跡(現:天神山緑地)をめぐって帰路に着きました。
手賀沼公園で
保存に力を尽くしてくださっている近隣の方々やボランティア、市の遺跡に対する維持や美観への努力と思いやりに感謝いたします。

参加した方々との触れ合いと共に、思い出に残るひと時を過ごさせていただきました。
いよいよ「我孫子のいろいろ八景歩き」が始まりました。4コース共に、定員を上回る申し込みで、参加者の好評価もいただいていますが、細かい部分で反省点も見受けられました。
今後の2年間で、残りのコースの詳細を設定し、マップの発行をしていきます。昨年の実践を踏まえて、更に精度の高いものに仕上げて、ガイド・スタッフ一丸となって「我孫子のいろいろ八景」の普及・定着に努めましょう。
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