寄稿 首都圏の奇跡                         桜井 幹喜(会員)
  我孫子のいろいろ八景歩きが始まりました。
  大勢の市民が募集を知り、ふだん歩きなれた道や、友人と足を運んだ場所を推薦しました。そこを選考委員の人たちが何度も歩いて確かめ、目で肌で感じたものを出し合い、知恵を集めて決まったものが八景です。

 自然がそのままの姿で人に迫るものも、白樺派の文人たちがその芸術作品で価値を付け足したものも、名もない人たちがここで暮らし涙や汗をしみ込ませた地べたや墓も、すべてここにあるものとして待っていてくれます。

 世界自然遺産でもなく、もちろん文化遺産でもありません。遠い世界からはるばる訪ねて、来てくれた人を圧倒するような場所でもありません。しかし、それが身近にあり、暮らしの中にあるというのがどれだけ大切なことなのか。

 ある友人が訪ねてくれて、二日かけてぐるっと我孫子を歩きました。手賀沼、利根川、ハケの道を歩いて古利根沼(写真)。しきりに「首都圏の奇跡」という言葉を連発しました。別の友人は文芸評論をやっていますが、夫を連れて来て志賀さんの旧居跡で声も出しませんでした。そんな体験をしてみると、我孫子のいろいろ八景のいくつかが「首都圏八景」の有力候補とさえ思え、ここに住む喜びと誇りさえ感じます。

 日々の暮らしのなかで私たちは飢えと渇きを感じます。食として胃袋としてではなく、心がしきりに求めるはずです。それは多分、人間が自然の一部であり、文化的な生物だからでしょう。自分たちのなかに自然を取り戻し、ここに生きた先人たちの文化に触れて、人生を豊かにしたいという欲求なのでしょう。アスファルト道やコンクリートの箱、道具であったはずのテレビとかスマホとかを離れて外へ出て太陽の下、風になぶられて歩き、文化への扉をたたいてみる。

  忙しい毎日です。暮らしに急き立てられてもいます。けれども少し落ち着いて考えてみると一日のうちにも週のうちにも、小さな空き時間がありますし、ちょっと小さな決心と好奇心、あるいは勇気さえあれば町歩きの時間など簡単にひねり出せます。これを使って日射しに向かうと、ある種の感動と健康が手に入ります。ただし感動とか健康とかは恋人みたいなもので、それ自体を追うと向こうが逃げて行ってしまい、つかまえられません。

                     古利根沼

  
当会が作ったいろいろなコースに、会員の案内人がつき、いっしょに歩く仲間までいるとなれば、ただでさえ軽いスニーカーはもっと軽くなります。

 ただし、そこで条件は整えられはするものの、必要十分ではないでしょう。案内の人の話も訪れて見る景観も、外からくるもので、自然にしても文化にしても参加主体の働きかけがなければ「感動」という心のドラマは生まれません。利子のような姿をして「健康」もついてくるはずです。そんなことも思いながら八景歩きをしてみてください。

 そのあと家へ帰って庭を見ると、植木や草花が違ってみえてくるし、本という宝箱からは、入っていた宝物が違う光を放つでしょう。なによりも生活が新しい質の重みを増すでしょう。 
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レポート わが町の魅力・文化財の発掘と修理保存
わが町我孫子市は"物語が生まれるまち"として様々な広報活動がなされています。その魅力の一つは、古代から多くの人々が住んだ歴史の証としての遺跡調査が今も大切に行われ、保存されているところにあります。

去る2月20日から5日間、市民プラザで根戸船戸遺跡1号墳から発掘された「頭椎太刀(かぶつちのたち)」がきれいに修理された見事な姿で展示されました。会期中は大勢の人が見入っていました。


平成27年度文化財展として「我孫子市指定文化財 中里薬師堂薬師三尊像」もともに展示され、初日には文化・スポーツ課辻史郎氏の講演も行われました。辻氏は「行政は今後も<思いを伝える>ために継続して維持管理を支援します。文化財管理には財政が必要ですので大勢の方の協力をお願いしたい」と話されました。さらに調査が進めば、また違った"物語が生まれる"ことでしょう。(広報部会)

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