我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第73号 2016.5.21発行
編集・発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
我孫子景観基礎研究 その1:杉村楚人冠の"手賀沼ビジョン"に関する考察 −5 
                                                                            建築家・工学博士 野口 修(会員)
■まとめ:投書『手賀沼の為に』の視線
 前稿で述べた「神社合祀」とは、明治政府が提唱した神社の合理化政策だ。合祀によって神社の数を減らし、残った神社に経費を集中させることで一定基準以上の財産を持たせようとした。

 明治憲法では、神道のみを宗教としたので、宗教外の神社からも公費を取ろうとしたのである。また「神社中心説」を唱えて、一町村一神社の地方自治政策を打ち出し、神社を地域活動の中心に据えようともした。

 「神社合祀」について南方熊楠ら反対派は、〃豹聖彖曚鮗紊瓩襦↓¬韻力騨擦鯔犬欧襦↓C亙を衰微する、ぬ韻琉岼造鮹イぁ⊃余陲鯒くし、風俗を害する、グ国心を損なう、ε效呂亮0造藩益に大害がある、Щ棒廚噺電舛鯡乃僂垢襦↓天然風景と天然記念物を亡滅すると批判した。

 反対派には知識人が多く、言論主体の反対運動を展開したという。

 この運動のなかで彼らが守ろうとしたのは、神社そのものではなく、その存在が支えてきた日本固有の地域コミュニティーや日本人の精神的支柱を形成する"感性"ではなかったか。
  この"感性"は、志賀直哉が感嘆した「墨絵」や寺田寅彦が書いた日本人の「自然観」の根底にある"東洋的なもの"とも一致する。

 あらためて楚人冠の『手賀沼の為に』(大正2年)を読む。ホテルの誘致やモータボートを使った水上レジャー、猟場、スケート場の整備など、所々に手賀沼の観光地化を勧める文章が見られる。

 しかし、こうしたアイディアの実現が、楚人冠の"手賀沼ビジョン"と考えるのは間違いだと気付く。西洋的なレジャーを楽しむことが目的ではないのだ。視線はもっと先を見据えている。

 手賀沼の景観を傷つけずに残すことは、我孫子も含めた流域に住む人々のアイデンティティや地域コミュニティーといった固有の"感性"を存続させる精神的支柱を守ることだと理解していたのだろう。

 敢えて「土地の者」と名乗ったことにもその意図
が感じられる。そして、この"感性"こそが手賀沼の保全を持続させる鍵となることも。
 楚人冠の著作を通してそんなことを考えた。
【連載を終えて】
本会発行の『楚人冠のメッセージ〜愛する手賀沼と共に〜』の冒頭で紹介された『手賀沼のほとり』が書かれて今年で86年。

 干拓で失われた水辺や沼での濃密な時間は、最早想像するしかない。
 本論考で辿り着いたのは、楚人冠にとって手賀沼の景観は、地域コミュニティーの写し鏡だったということだ。一方が存在感を失えば、他方は希薄になる。
 あらためて後世に景観を遺す責任は重い。
手賀沼の俯瞰(絵:筆者)
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