「我孫子のいろいろ八景歩き」
リクエストにお応えして、昨年秋のコースを再び歩きました
 布佐・新木の三大緑地公園コース(6月26日)              土田 実(参加者) 
梅雨の晴れ間となった絶好の日和。この日新装オープンした新木駅から乗車し、布佐駅下車。駅前に勢揃いした一行36名(一般参加23名、景観を育てる会9名、市役所3名、取材のJ:COM−TVカメラマン。軽い準備運動をした後、定刻9時20分、リーダー中塚女史の出発の掛け声でスタート。

1、竹内神社 
文禄2年(1593年)創建といわれる布佐の郷社。9月例大祭は勇壮な神輿と5台の山車の神楽舞が見もの。鳥居前の子連れ唐獅子は子孫繁栄のご神徳で知られる。見上げれば53段ある急階段を上ると左手に『日ロ戦争英文記念碑』がある。「IN MEMORY OF THE CONQUEST OVER THE RUSSIANS」明治38年に建設された旅順陥落記念の碑で、境内に桜樹500本を寄贈された際、松岡三兄弟(鼎、國男、静雄)、榎本次郎衛門(衆議院議員)、大澤岳太郎(東京帝大教授)、井上二郎(豪農、手賀沼干拓に貢献)、一色正輔(布佐町長)が建てた。本殿脇からこんもりした森の坂道を下ると、そこが宮の森公園である。

2、宮の森公園 
竹内神社に連なる丘陵と成田線沿いの低地を巧みに活かした公園。桜並木は市制40周年記念切手に選ばれた。

3、布佐平和台住宅 
成田線南側台地にあり、市の「第1回景観賞」、国土交通省の「第2回住まいのまちなみ賞」を受賞した。趣向を凝らしたガーデニングや手入れされた生垣が美しい。

4、勢至前橋 
東消防署の傍らにある成田線の跨線橋。この橋の上から美しい単線のカーブが、狭い切通の緑の谷の中に見える。ワンダフル。
5、布佐南公園 
平和台のやすらぎの道と成田線の間の自然を活かした起伏のある公園。雑木林の丘の小径、バスケットコート、芝生の広場。東南側の緩やかな斜面の桜は満開時見事。



6、気象台記念公園 (上の写真) 
布佐気象通信所の跡地を公園にした。アカマツ、桜の大木、ヒバの並木などが、広い芝生を囲み、其の北端に佇めば利根川越えに筑波山を望める。公園正面入り口近くにアメダス(気象庁の無人観測施設)がある。

このように順次説明を拝聴しながら歩いていると、いつしか時の経つのを忘れる。なるほどこの区間は、豊かな緑地、自然の景観、歴史に恵まれた地であったと改めて納得した。

アンケートに記入してABIKO LANDSCAPE写真はがきをいただき、感謝。12時過ぎ新木駅で解散。景観を育てる会スタッフ、市景観推進室の皆さん。素晴らしい企画、ご親切な案内、本当に有難うございました。参加できて有意義、気分爽快でした。
 高野山台地の八景と古墳を巡るコース(7月3日)に参加して思うこと
                                                                
三好 庸隆(参加者)
我孫子市は地理的に千葉県北部を東西に横たわる地域で、その中心に手賀沼がある。高野山は手賀沼の中心部北側の小高い丘の一帯を呼び、桃山公園のような広い緑の空間があり、下を通るハケの道、湧水が注ぐビオトープにはメダカやザリガニなどがいて子供たちに人気がある。この自然環境に恵まれた高野山一帯は、その景観の良さから、4,50年前から住宅地として開発されて来て、今日でもなお続いている。自宅から手賀沼の景観を眺める事が可能と言う触れ込みに人気があるのかもしれない。

この自然の豊かさ故、手賀沼周辺は野鳥の飛来も多く、日本で唯一の鳥類研究所が置かれている。このことは、私達住民にとって喜ばしいことと言える。

また、歴史的にも手賀沼の景観や環境を愛した武者小路実篤や志賀直哉等の文人、陶芸家のバーナード・リーチ、柔道家の嘉納治五郎、それにジャーナリストの杉村楚人冠、大学教授の村川堅固、堅太郎等が、この我孫子に別荘として居住した事実は景観を含む環境の良さを証明し、寧ろその保全にも努めたように思える。
・高野山新田ビオトープでの説明風景
この素晴らしい我孫子の自然環境の良さを上述の著名人と同じように、私達も次の世代に引き継ぐ責任がある。そのためには自分自身が手賀沼周辺の環境に好感を持ち、周りの人にその良さを伝える事から始まる。しかるに我孫子の住民一人一人が自分の周りの人に伝えることが何よりも大切な一歩になるものと確信しています。

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