三樹会だより
私と我孫子と三樹荘                        殖木 洋子(三樹会会員)
私が家族と共に我孫子に移り住んだのは今から四十年前のことです。
  その数年後埼玉へ移りましたが、我孫子へ残した両親のもとへは以後毎週のように通い現在に至っています。それでも我孫子では買物に出るくらいで、町を歩くことはあまりありませんでした。

ニ、三年前から時間に余裕ができたので、町をゆっくり散策してみたいという気持ちになりました。
 バス通りを少し入ったところに、趣のある坂道(天神坂:写真)を見つけたときは、家から近いところにこのような坂道があったとは、私には嬉しい発見でした。そして雨の降ったあとのしっとりした天神坂が大好きです。

坂のとなりに、大きな樹々に囲まれた広い庭、手賀沼が一望できるお屋敷、どんな方が住んでいらっしゃるのか、まずは「お庭が見てみたい」と思ったのが「三樹荘」でした。
  その後、旧村川別荘で瀬戸さんとお会いし、「来てみませんか」と、お誘いを受け三樹会に入会、掃除のお手伝いをすることになりました。

お家の方から、昔は家の下まで沼で、舟で移動していたことや、有名な方々が近所に住まわれて活躍されていた話など、大変興味深く聞かせていただきました。
  昨年の秋、澄みきった空と明るい太陽のもとで、眩しいくらい赤く染まった山紅葉の美しさに思わず箒を持つ手を休め見入ってしまったこともありました。
掃除が終わったあとに、東屋で囲炉裏を囲んで会員の皆様とお話をするなかで、地域にある景観を守る活動をされ、皆さんで支えておられることなど活動の大切さを知ることができました。
  今は少しでもその活動に関わることができて、よい時間を過ごせていることを感謝しています。

旧村川別荘だより


おもてなしガイドで10年       瀬戸 勝(会員 旧村川別荘市民ガイド)
旧村川別荘市民ガイドは発足後10年を迎えました。スタートのころはお客様の大半が「我孫子にこんな所があったとは気がつかなかった」と言っておられたのを今思い出しているところです。

私達のガイド活動には決められたマニュアルはなく、基本資料(村川父子、建物、当時の我孫子の別荘事情など)を自己流にアレンジし、そこへ「おもてなし」「雰囲気をプロデュース」を味付けして、みんなそれぞれの流儀でガイドしています。

「おもてなしの心遣い」になるとガイドの皆さん個々の趣味や知識が活きてきます。
  「我孫子の地名の由来」「古墳時代の人々の生活」更には「別荘近辺のお食事処ご案内」等々までありきたりのガイドから人間味あふれる(?)ガイドに進展しているようです。だから月例会はガイド相互のノウハウ情報交換の場にもなっていますが、これにもうひとつガイド日誌が加わります。

ガイド日誌には、嬉しかったこと、口惜しかったことなどかなり生々しく書かれているときもあり(特に後者)、「村川ガイド泣き笑いの10年」を編さんしてみると面白いと思っています。
私自身ガイド活動で一番嬉しいのは、以前来荘された方が今度は友人など連れてまたきてくれた時で、喜んでつい日誌にも書いてしまいます。
新館における月例会(文化スポーツ課提供)
最後に私の夢を披露させて下さい。それは「旧村川別荘」「杉村楚人冠記念館」「三樹荘庭園(村山家)」の「3ムラ」文化遺産を何とか有機的に結び付けられないかということです。

私達「旧村川別荘市民ガイド」一同はなんとか来荘者を増やして知名度向上を目指して頑張っています。「我孫子の景観を育てる会」の皆様の更なるご支援をお願い申しあげます。
※訂正 第77号P1 「平成29年新春手賀沼ウォーキング」の文中、1周組「3人」は「4人」の誤りでした。
●このホームページの記事は修正してあります。

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