「台風銀座」の島ではなかった「南大東島」は、驚きの島
                                                                    宮内 昭男(会員)
沖縄県で沖縄本島の次に有名な島は、台風予報でおなじみの「南大東島」ではないでしょうか。毎年、台風シーズンになると南大東島は大変だろうなと思うのは私だけではないと思います。しかし、この私の認識と大きく違っていたことが最初の驚きでした。それは、南大東島が台風に直撃されることは数年に一度程度でしかないことが、気象台への見学で知りました。私はテレビの台風情報で「南大東島の南方ーーー」等と放送されることで、「台風 = 南大東島」というロジックから南大東島が毎年何回も台風に襲われると思ってしまっていました。

この「台風」続きの2つ目の驚きが、意外にも民家です。沖縄の民家のイメージは、台風対策から赤い瓦が白い漆喰で固められた屋根と、頑丈な作りの家屋にシーサーが鎮座しているのが思い浮かびます。ところが、南大東島の民家は関東の家と変わらない家屋が多く、沖縄県なのに沖縄らしさがないことに驚きました。その理由の一つに南大東島の地形があります。南大東島は海岸沿いに岩礁が高くせり上がっている「すり鉢状の地形」となっているので、そのせり上がった岩礁で民家は台風の風雨が直接当たりにくいことから、沖縄本島のような頑丈な家屋でなくても台風を凌ぐことができるそうです。

島の地形続きの次の驚きは、島が岩礁で覆われ港作りが困難なことから、船から島への移動は荷物と同じように人間も、クレーンで吊った籠に入って上陸するそうです。船からクレーンを使用して上陸するのは、南大東島以外にはないと思います。なぜならばクレーンで人を吊り上ることは「労働安全衛生法」違反だからです。私は現役時代にクレーン営業もしていたので驚きました。後でインターネットで調べたところ、当件は島の事情から例外規定でOKのようです。
保存されている蒸気機関車

このような驚きは「序の口」できりがないので、最大の驚きで締めさせて頂きます。それは鉄道で、常磐線が開通したのは明治29年、成田線開通(我孫子・成田間)は明治34年ですが、その翌年の明治35年に沖縄初の鉄道開通が沖縄本島ではなく、この南大東島だったのです。この「南の孤島」の115年前になぜ沖縄初の鉄道が開通したのか、宮古島等より沖縄本島に近く、沖縄本島の影響が受けやすかったのになぜ本島と同じようにシーサーを始めとする沖縄文化が育たなかったのでしょうか。
旅先の1枚 −5− 本丸広場がパーッと明るくなった              小谷 滋(会員)
 
会津若松市 鶴ヶ城と桜
4月の16日17日、所用で福島へ出かけた。福島までの道中はどこも桜が競い、豪華に長く咲き続けた我孫子を後に、まるで桜の追っかけ旅のようであった。その日、立ち寄った二本松城は、桜祭りと満開、快晴の日曜日が重なって、屋台では好物の甘みそ田楽も香り、人々で大賑わいだった。翌17日の昼前には会津若松の鶴ヶ城に寄れた。二本松市よりやや南なので花盛りを期待したが,お城のあたりは暗くて淋しい感じ、それは曇りなのと染井吉野が一分咲とほぼつぼみ状態だったのによるらしい。開花が遅いのは標高が240mと高く、海からも離れていて寒いせいらしい。

ところが午後になったら気温の上昇で、写真のように幸運にもまたたく間に六分咲き程にほころんでくれた。そして本丸広場はパーッと明るくなった。
安達太良山や磐梯山の雪どけも間近か。
編 集 後 記
  新緑の中、我孫子のまち歩きを楽しんでいるグループをよく見かけるようになりました。嬉しくなって思わず「どちらから?」と声をかけてしまいます。もっともっと大勢の方に喜んで訪問していただけるよう、巻頭の野口さんの「景観ビジョン」が早く実現することを夢見つつ、日々「まちの美化」に地道に取り組みたいと思います。(秋田桂子)

■もどる