我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第87号 2018.9.15発行
編集・発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
我孫子景観基礎研究 その4  我孫子の旧邸跡から辿る白樺派たちの創作的視点に関する考察
    
                                                                                  建築家・工学博士 野口 修(会員)
4-2.柳宗悦:「民藝運動」と柳宗理への系譜
  1880(明治13)年代、ヴィクトリア朝のイギリスでアーツ・アンド・クラフツ運動が起こった。

  主導したのは詩人、思想家、デザイナーのウイリアム・モリスだ。産業革命による大量生産の結果、安価だが粗悪な商品が溢れたことを批判し、中世の手仕事への回帰、生活と芸術の統一を主張した。アール・ヌーボーやユーゲント・シュティールなど、当時のヨーロッパで起こった美術運動の理論的先駆としてこの運動が果たした役割は大きい。 一方、日本でこの影響を受けたとされるのが、柳宗悦の「民藝運動」だ。

  ただし、柳は自身の「民藝運動」について、思想面ではアーツ・アンド・クラフツ運動に共感するとしながらも、美の観点ではモリスのデザインを〈見るに耐えない〉と酷評する。宗教哲学者としてウイリアム・ブレイクらの影響を受け、「普通の人が無心に手を動かして作るものが美しい」と考えた柳宗悦にとって、モリス作品の装飾性や意識的な〈工夫〉は、かえって美を台無しにするものと映ったのではないか?

  柳が初代館長を務めた目黒区駒場の『日本民藝館』を訪ねた。ここには日本および諸外国から集められた陶磁器や染織品、木漆工品等、新古工芸品約1万7千点が収蔵されている。
  所蔵品には、我孫子の旧柳宗悦邸(三樹荘)に窯を築いたバーナード・リーチの陶磁作品やエッチング等もある。生涯の友として柳と刺激を与えあったバーナード・リーチは、幼児期を日本で過ごした。その後、ロンドン美術学校でエッチングを学び、再来日して上野桜木町でエッチング指導をしていた際、柳ら白樺派同人たちと親交を結んだらしい。

  「民藝」の影響という点で見れば、武者小路実篤も、濱田庄司ら、民藝運動に参加した作家の作品、李朝や日本民窯の陶磁器、数多くの民藝品に加え、柳が見出した木喰仏などをモデルにした絵を残している。

  ところで、建築を学んだ身としては柳宗悦の息子で、日本における工業デザイナーの草分け的存在でもある柳宗理に親近感を覚える。宗理は、機能性や合理性を追求し、無駄なデザインを省いた純粋な形は、工業製品であっても美しいと考え、「民藝」の領域を手仕事から工業製品に拡張した。宗理がデザインした多くの工業製品の中でも代表作とされる『バタフライ・スツール』は、今でも根強い人気を誇っている。
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