おでかけ倶楽部 ―第3回― 龍ヶ崎市(旧水戸街道のお宝)         宮内 昭男(会員・ガイド)
                9月24日(月・祝)参加者5名/10月5日(金)参加者5名
茨城県「龍ヶ崎市」は千葉県「我孫子市」を始めとする千葉県北西部との繋がりが昔からありましたが、残念ながら現在が最も縁遠くなっていると思います。

そもそも龍ヶ崎の由来は、千葉県の古文書からとの説があります。それは、龍の体が頭・胴・尾に分かれて落ちた場所「竜角寺」(栄町)、「竜腹寺」(印西市)、「竜尾寺」(八日市場市)の先にある所(地域)を「龍ヶ崎」と呼んだとの伝説です。

また今から約20年以前、現在我孫子市に属する「旧布佐町」は利根川を挟んで龍ヶ崎と直行バスが運行されるぐらい交流が盛んだったとの記録があります。このような交流が行われたのは、江戸時代に開通した「古・水戸街道」があったからだと思われます。その街道とは「我孫子宿」から湖北、布佐を通り、利根町の布川を経由し、龍ヶ崎の「若柴宿」に至る道で、この道が人々の流れを作り文化圏を形成していったと思われます。しかし、現在このような歴史を知る人は限られています。

「おでかけ倶楽部 龍ヶ崎」はこのような現状から、昔のような「我孫子、利根町、龍ヶ崎」文化圏復活の一里塚になればとの思いで実施しました。
小貝川を背にガイドする筆者

さて、今回散策したのは、距離が長く散策が気軽にできない「古・水戸街道」ではなく、2時間くらいで散策できる(旧)水戸街道(下の地図参照)としました。

この散策ルートは、私が龍ヶ崎市で所属している「隠れ文化財探し隊※」が編集した「龍ヶ崎の水戸街道と古水戸街道」という冊子に掲載されている20か所の内の約半分を廻るコースで、龍ヶ崎の「水戸街道」を知る入門と言えるコースです。

このコースについて、散策後のランチタイムにアンケートを書いてもらいました。アンケート結果を見ると、集合時間(10 時)、散策時間(2時間弱)、散策距離(約4km)で満点をもらうことができた上、この他の項目でも、「我孫子の八景歩き」の経験が良い成果に結びつき次への励みとなりました。
龍ヶ崎・花と風の丘

来年は水戸街道の「我孫子宿」から「牛久宿」の中で、今も宿場の面影が残っている龍ヶ崎市の誇りでもある、「若柴宿」をメインにした散策コースを「おでかけ倶楽部」で提案する予定です。

尚、当散策は「我孫子の景観を育てる会」の会員限定となっていますので、ご興味のある方はとりあえず、会員になってご参加して頂ければ幸いです。
※「隠れ文化財探し隊」は龍ヶ崎市民環境会議の文化環境会議の「ニックネーム」です。
布佐の歴史景観散策会に参加して 9月17日(月・祝)             沼尻 和枝(参加者)
布佐平和台に住んで40年近くになります。会員の濱野さんが送ってくださったチラシを見て、是非歩いてみたいと思い、友人と一緒に参加させていただきました。

中塚さんから会の皆さんの紹介と準備体操、小見川さんのガイドで布佐駅平和台側から歩き始めました。布佐平和台が、2007年まちなみ景観賞をいただいている住宅であること(住民としては嬉しい説明でした)や、和田幼稚園が和田城跡という伝説の地であることを知りました。

竹内神社では、境内の石碑の説明や六根の大樹の紹介もありました。今年も初詣に竹内神社で参拝しましたが、これからは六根(目・耳・鼻・舌・身・意)の大樹にも手を合わせたいと思いました。近くにある勝蔵院(天台宗)は、お墓のそばを散歩で通ったことはありましたが、敷地の中へは初めて入りました。明治の布佐八景の一つ「西山暁鐘」の地で岡田武松博士の墓石もここに。

少し歩いて365号線沿いに小さな愛宕八坂神社があり、ここは竹内神社の元宮で、これまた明治の布佐八景の一つ「愛宕暮雪」。ここに立って利根川を眺めたのは初めてでした。今では土手ができ、一望はできませんでしたが、布佐の大切な場所の一つであることは感じとれました。
延命寺、近隣センター“ふさの風”に寄った所で、雨が激しく降り出しました。鮮魚(なま)街道出発の地、観音堂は、残念ながら説明のみとなりました。ガイド付きの散策は、今更ながら、より布佐を知ることができ、参加してよかったと思いました。有難うございました。

竹内神社境内
  竹灯篭の夕べ 10月5日(金)・6日(土)
旧村川別荘で今年12回目になる竹灯篭の夕べが催された。
5日は午後から天候が不安定で雨模様、来場の皆さんは建屋内でのSPレコード鑑賞会へ。
6日は天気が回復し、斜面林に幽玄の光の世界が出現。母屋ではコカリナ演奏も。来場者は2日間で 350 人。

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