我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第90号 2019.3.16発行
創刊 2002.3.29
編集・発行人 吉澤淳一
我孫子市つくし野6-3-7
我孫子景観基礎研究 最終回 その4:我孫子の旧邸跡から辿る白樺派たちの創作的視点に関する考察
    
                                                                                  建築家・工学博士 野口 修(会員)
4-5.まとめ:『武者小路実篤邸跡』の活用について
  我孫子市のホームページで平成28年5月29日、『志賀直哉邸跡』の池で、ヒカリモが発見された記事を目にした。ヒカリモは、水のきれいな洞窟や日陰の池に生息する単細胞の藻類で、微妙な環境変化が繁殖に影響することから希少性が高く、谷津ミュージアムの発生地は我孫子市指定文化財となっている。

  このヒカリモを東京都内で唯一見ることができる公開生息地が、調布市の『実篤公園』にある。園内には武者小路実篤の終の住処となった邸宅が残され、庭に造られた菖蒲園の一角でヒカリモが発生する。

  88号で筆者は、景観に対する武者小路実篤の視点が晩年期の画業を通して我孫子時代の志賀直哉に近い“虫の目”に変化したのではないか?と考えたが、それを後押しするような興味深い話題だった。

  平成30年度より「あびこん」の跡地利用に関するサウンディング型市場調査を皮切りとして、行政の目が我孫子新田・白山エリアに向けられている。既に、このエリアでは「手賀沼ふれあいライン」沿道の土地に観光施設を誘導する方針も決まっている。こうした新規の観光施設に対し、このエリアの歴史的観光拠点となるのが『武者小路実篤邸跡』だ。ここでは、実篤が我孫子に残した白樺派の記憶を市民共通の“資産”と捉え、旧邸跡の活用について考えてみたい。
  私見を言えば、まず、建物を復元して公開するだけでは終わって欲しくない。白樺派は、かつて文学のみならず、思想や芸術においても先進的な集団だった。そして、彼らが“芸術共同体”を形成していた我孫子の手賀沼地域は、大正期の日本をリードする文化情報の発信拠点でもあった。したがって、『武者小路実篤邸跡』の活用については、その史料的価値を現代に伝えるだけでなく、より積極的に我孫子の「観光力」を意識した新しい事業形態を構想し、広く情報発信すべきと考える。そして、そのヒントは、理想郷、農村型共同体、地産地消、民藝、生活と芸術、スローライフ、エコロジーなど、実篤の「新しき村」を現代風に解釈した様々な言葉の中にあるのではないか・・・。

  2018年は、武者小路実篤が我孫子を離れ、日向に旅立った大正7(1918)年から100年の節目に当たる。この機会に改めて、白樺派が我孫子に残した“資産”の活用について見直してみてはどうか?
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