まちの美化に取り組む人々-40-   我孫子市立久寺家中学校の皆さん      吉澤 淳一(会員) 
夏休みに入って間もなくの7月26日、暑い陽射しの中を、少年たちの一団がつくし野通りのごみ拾いをしていた。訊いてみると、久寺家中学校の生徒さん達だった。丘の道とつくし野通りが交わるスクランブル交差点をスタートして、つくし野通りの1本北側の道を東へ進み、再びつくし野通りへ入り、並木小学校前まで行く。帰路はつくし野通りをスクランブル交差点までで、往復約2キロの道程である。

私が出会ったのはつくし野通りの自宅の前だった。リュックを背負い軍手をはめトングを持って、談笑しながら歩道のゴミを拾って行く姿に感動した。生徒たちは「つくし野はそれほど多くのごみは無かった。暑いけれど頑張ってます。」と明るく話していた。暑いので、学校で付き添いの先生から詳しい話を聴くことにした。

学校では、最初に角田茂勝教頭先生から話を聴いた。「昨年度、本校が千葉県から東京オリンピック・パラリンピック教育推進校に選ばれたので(我孫子市では1校のみ)、県教育委員会が策定した4つのプロジェクトのうちの1つ『おもてなしプロジェクト』の活動として、道路のごみ拾い活動をすることにした。  

15ある部活動が交代で学区内のエリアを決めて道路のゴミ拾い等を行うことによって、ボランティアに積極的に参加しようとする姿勢を養いたい。」と話された。


付き添いの大谷竜司先生は、社会科の担当で男子卓球部の顧問をしている。「今日はゴミ拾いの初日で、男子卓球部1・2年生の部員20人が参加した。生徒たちは、植え込みの中も丹念に覗いて一生懸命にゴミを拾っていて感心した。

ゴミは45Lのビニール袋2袋が満杯になり、煙草の吸い殻が意外に多かったのが印象的だった」と話していた。今夏休み、残り14の部が日と地域を変えて、まちをきれいにしていく活動が続く。心からエールを送りたい。
  〜三囲(みめぐり)神社の三角鳥居〜    吉澤 淳一(会員) 
旅とは言えないが、5月の初旬「鬼平犯科帳の舞台を巡る街歩きツアー」に参加した。墨田区本所・向島界隈を専門のガイドさんについて回った。ツアーの最初は大川(隅田川)に沿って歩き、やがて今は公園になっている水戸藩下屋敷跡の先にある三囲神社にさしかかる。ここは鬼平犯科帳に数回登場するが、特別長編「迷路」"妙法寺の九十郎"の項に描写されている。その一節を紹介する。

『大川の堤の道から一段下がって、田圃の中の参道が東に伸び、彼方に社の杜が見える。このあたりは小梅村(墨田区向島)で、満々たる大川をへだてて、待乳山・聖天宮(まつちやましょうでんぐう)の屋根が、こんもりとした木立の上に望まれた。(※今でもその通りに見える 筆者註)− 中略 − 三囲神社の神像は弘法大師の作で、慶長のころまでは、いまの地より南の方に社があったという。』

ここの境内で面白いものを発見した。表題に記したとおり三角鳥居である。何が三角かというと、鳥居を3基組み合わせたもので上から見ると正三角形に組み合わされている。隣り合う鳥居同士が柱を共有するため柱は3本である。

囲まれた中に井戸があった。三柱(みはしら・みつばしら)鳥居とも云う。この神社は三井家の守護神で、原形は京都太秦の木嶋神社(養蚕神社ともいわれている)にある。この鳥居が三井家から移されたのは10年ぐらい前の事らしいので、当然平蔵の時代にはなかった。

こういう鳥居は全国に数カ所あるというが、三角、三柱の由来がよくわからないところが消化不良気味である。


編 集 後 記
  編集長を引き受けてから2度目の発行となりました。記事の編集やレイアウトなどなかなか思うようにいかず、編集委員のみなさんに随分と助けていただきました。これから続く発行に不安もありますが、あまり堅苦しく考えず、皆さんが興味を持って読んでいただけるよう、読みやすい紙面づくりを心掛けていきたいと思います。秋から冬にかけてイベントが多く、記事や寄稿文を参加者の方に書いていただきたいと考えていますので、ご協力よろしくお願いいたします。(鈴木洋子)

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