我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第94号 2019.11.16発行
創刊 2002.3.29
編集・発行人 中塚和枝
我孫子市緑2-1-8
Tel 04-7182-7272
編集人 鈴木洋子
おでかけ倶楽部 秋葉原・御茶ノ水散策に参加して               建築家・工学博士 野口 修(会員)
  9月6日、「第8回おでかけ倶楽部」に参加した。コースは、秋葉原駅 から昌平童夢館→神田明神→湯島聖堂→聖橋→ニコライ堂→明治大学 阿久悠記念館を徒歩で巡るものだった。

  最初に訪れた「昌平童夢館」は、 1996年の竣工。地上6階地下2階のビルに幼稚園・小学校・図書館・児童館・プールなどが同居する千代田区立の複合施設だ。 校長兼園長と副園長 に 館内を案内して頂いた。

  「童夢館」の計画立案はバブルの最中と考えられる。ドーム型テントの開閉により全天候に対応する最上階の運動場、1990年頃より導入された“壁”のない教室とオープンスペース、一般利用者と共用のプールは児童と大人の使用に合わせて水底が上下するなど、計画の斬新さや技術 面 のトライアルが容認された当時のエネルギーに満ちた雰囲気が、建物の其処此処に感じられた。また、幼稚園の庭に設けた小さなビオトープ水田 を通して 地域景観に根付く努力も感じられた。こうした都心の狭隘敷地の中に地域の文教施設を整備する計画の第一号は、台東区の上野小学校1991年竣工)だったと記憶している。

  次に訪ねた「神田明神」は、神社本庁の別表神社で、東京十社の一社でもある。本郷台地の東南端の高台に建ち 、特に東側の崖からの眺望は有名で、歌川広重の『名所江戸百景』のうち「神田明神曙之景」が残されている。この崖を登る石坂は別名、男坂とも呼ばれ、高低差約13mの急階段となっている。当日は、参加者の皆さんが声を掛け合って登った。神田明神 での 参拝後は、参道を抜けて、御茶ノ水方面に向かった。

  次の「湯島聖堂」は元禄3(1690)年、五代将軍綱吉によって建てられた孔子廟( 大成殿)で後に江戸幕府直轄の学問所となった。焼失と再建を繰り返し、現在の大成殿は関東大震災 で 焼失したのを再建した鉄筋コンクリート造の 建物 である。 この他、テレビドラマ『西遊記』のロケ地であること、湯島天神と並ぶ合格祈願のメッカであること位の認識しかなかったが、孔子の墓所より持ち帰った種子を苗木に育てて植えた“楷の木(かいのき)”の存在など、日本の学校教育 の歴史 と深い関わりを持つ場所であることを知った。
  「湯島聖堂」(文京区)から「聖橋」を渡って「ニコライ堂」(千代田区)に向かう。この橋名は2つの「聖堂」を結ぶことから名付けられた。関東大震災後の震災復興橋梁の一つで、昭和2(1927)年完成。神田川を渡る船からの見上 げの美しさを重視したアーチ橋である。

  「ニコライ堂」の正式名称は、「東京復活大聖堂教会」。ロシア正教と勘違いされることも多いが、正教会は教義を訳した言語の母国名を取って「〇〇正教会」と名付けるので、日本語に訳した教義を使用する本教会は、日本正教の聖堂となる。建物は、関東大震災で鐘楼とドームが壊れる被害を受けたが修復され、第二次大戦の 東京大 空襲では空から見 た 聖堂の形が十字架に見えたので爆撃を受けな かった そうだ。空襲直後は大量の遺体が運び込まれたらしい。見学を終えて昼食に向う途中、周辺の ビルを背景とする 教会の景観 を見たが、心なしか他にない歴史の重みを感 じた。

  最後に訪れた「明治大学阿久悠記念館」に関しては、周囲のオフィスビルと同等に高層化した外観と、施設的充実度に驚かされた。今回のコースでは最初と最後に高層化する都会の学校を2件、初期の事例と最近の事例を体験した。デザインとしては、後者の「明治大学」が洗練されているが、それは建築技術の時代的進化によるものだろう。むしろ、学校建築の新しい挑戦という点で は「童夢館」の方が斬新であったように思う。

  今回のコースでは、施設運営の合理性や土地利用の効率化 を追求し て変容する現代の“学校”と、 神田川を挟んで対峙する2つの“聖堂 、東洋と西洋発祥の“神殿”といった 神聖で普遍的な 空間を合わせ見ること ができた。改めて双方が混在してこその景観 であることを感じた。

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