〜前会長吉澤淳一さんの、当会18年間を振り返った回顧録を、93・94号に続き掲載します〜
           吉澤 淳一(会員)                          
景観シンポジウム
【市からの協力要請】
会が我孫子市の景観シンポジウムに参加要請されたのは、会設立の翌年、平成14年12月7日(土)終日を使った第4回目の開催であった。景観シンポジウムは市の景観行政の柱で、3回目までは市が単独で行ってきたが、集客にご苦労なさってきたことから、会と共催となった。企画から実施運営に至る大半を会の方で仕切り、それは初めてにしては大胆なことであった。

【大胆な取組み】
市が設定したタイトルは「美しいまちなみ景観づくり」というものであったが、これを"聞いて楽しく見て驚く 景観の玉手箱"と称して、立体的シンポジウムに仕立て上げた。何が立体的かというと、インドアとアウトドアの組み合わせに意を用いたことであった。

インドアは、アビスタ施設の大半を使って、同時多発的な展開をした。ある部屋では「昔の我孫子はどんな顔?・今の我孫子のここは何処?」をクイズ形式で楽しむ写真展、違う部屋の「見上げてごらん我孫子の空を」では、電柱電線類が乱舞している我孫子のまちの写真と、それをCGで取り除いた写真を並べて、電線類地中化が景観に与える効果を訴えた。これを見た福嶋市長(当時)が、ホールでのパネルディスカッションで、「公園坂通りが拡幅されたら電線類を地中化します」と発言するハプニングも懐かしい思い出である。定番の景観賞表彰、講演、スライドショーも実施した。

アウトドアは、このシンポジウムの目玉で、一般参加のガイド付き「手賀沼クルージング」「あびこバスツアー」「あびこウォーキング」の同時開催を企画した。雨でウォーキンは中止したが、今考えるとよくこんなことができたなあと思う。少ないメンバーがフル稼働で何とか切り抜けて、景観推進室にも喜ばれた。この模様は「景観あびこ」第5号・景観シンポジウム特集号に、何と8ページにわたって掲載された。

【市とのコラボは続く】
その後、年が飛んで平成21年の第5回、会は「協力」という形で紹介事例の推薦にとどまった。この回から第7回までは「心ふれあう身近な景観づくり」という大タイトルで実施した。

同年の第6回から再び共催を求められた。第6回は「住民主役のまちなみ景観づくり」のお題で、"ストリートガーデニングの楽しみ"を提案し、私とシティアグリーンクラブ関会長(当時)の基調講演の後、市内の2組の若い夫婦に登壇いただきストリートガーデンの実践を披露してもらった。
(下の写真・第6回)

第7回は、22年で、冨樫さんの基調講演「市民が育てる我孫子の庭園公開」の後、布佐駅、新木駅、湖北駅、我孫子駅の「駅前花壇」を造り管理しているボランティアグループの活動紹介を行った。開催に先駆けて、座間市さがみ野の駅から500メートルにわたるストリートガーデンの見学を、景観推進室と共に行ったことは大変参考になった。
第8回は、「こころ・うるおう・ところ」〜学校花壇へようこそ〜で、平成23年3月に実施した。タイトルは秋田さんの提案である。学校花壇プロジェクトチーム(足助哲郎リーダー・故人)を設置し、各学校の実態を把握した結果、どの学校も生徒、先生、ボランティアのみなさんで素晴らしい花壇を造っていることが分かった。代表2校と関係者がパネルディスカッションに登場した。

これは、平成23年度の景観形成市民啓発事業として市から会に業務委託されたもので、それが24年度から始まる市の「提案型公共サービス民営化の景観形成市民啓発事業」受注につながり、「我孫子のいろいろ八景探し」と「我孫子のいろいろ八景歩き」として発展していくことになる。

市民活動元気づくり事業
平成15年の事、千葉県の標記事業(市民活動支援課所管)に応募した。「庭園公開事業」のグレードアップと応用展開を目的とした企画が採択された。県下では四街道市と我孫子市が選ばれたそうで、他の10グループと共に受かった。16万円の補助金を得て、2年間に市内外合わせて13カ所の事例を、仲間と共に学習した。市外では、横浜市(山手234番館、長屋門公園)、君津市(久留里城址)、八日市場市(農家のオープンガーデン)、三鷹市(コミュニティーゾーン、市の道路課職員も誘う)、国分寺市(日立中央研究所庭園)で、遠く仙台市(オープンガーデンみやぎ、仙台市役所)までも足を延ばした。また、市と県の担当職員と共に、足利市も見学できた。

まだ会の資金が乏しい中、本事業への参加によって、日立庭園公開・市民観桜会のグレードアップ、旧村川別荘活性化、景観散歩、オープンガーデン研究などに繋げられたことは、その後の活動にとって大変大きいものがあった。景観あびこ13号に「ぐるり景観・庭園見聞録」と題した見学レポートが載っている。



                        < 訃 報 >
令和元年12月20日、会員 高野瀬恒吉さんがご逝去されました。享年97。誠に残念ながら帰らぬ人になりました。
高野瀬さんは、会の創設時からの会員で、基礎を築き、長く力強く会の活動を牽引してくださいました。特に『オオバン通り緑化プロジェクト』には力を注がれました。我孫子を愛してやまない方でした。今後は高野瀬さんの意思を受け継いでいきたいと思います。
ここに謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。
     (会長 中塚和枝)
高野瀬さんのスケッチ画
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