我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第96号 2020.3.21発行
創刊 2002.3.29
編集・発行人 中塚和枝
我孫子市緑2-1-8
Tel 04-7182-7272
編集人 鈴木洋子
景観の本棚−1 中村良夫著「風景学入門」(中公新書) その1               冨樫 道廣 (会員)
  20年もの昔、我孫子の景観に関わることになって、景観の西も東も分らないまま読みあさった本が今なお私の本箱の奥に並んでいる。その中から昔を思い出しながら、その2、3を紹介してみたいと思う。
  第1回の今日は、中村良夫著の「風景学入門」(中公新書)を取り上げることにする。
  著者は、我孫子市の第2回景観シンポジウムに講師として招かれた方で、その経緯はあとで取り上げることになる であろう、「風景学・実践編」に見ることができる。

  本書はそれ以前に上梓されたもので、参加者の中にはすでに目を通して出席した方々も多かったかもしれない。
  その内容を見ると、「風景」という全く身近にあるテーマで、気楽な気持ちで読み始めると、どっこいそうやすやすとは受け入れてはもらえない。著者専門の都市工学だけではなく、社会学的更には、文学・哲学的な素養がいたるところに滲み出てくるのには辟易してしまうのである。
  先ず序章では風景の原点を求めて、イギリスの有名な湖水地方を訪れる。理由は書いていないが、次に出てくる19世紀の桂冠詩人、 ウィリアム・ワーズワースの詩によるものだと勝手に解釈した。

  その湖水地方の中心ウィンダミアには、ワーズワースがケンブリッジの大学にいた数年間以外は終生離れることがなかったという、「ライダル・マウント荘」も現存する。
ライダル・マウント荘
=本文のエッジングから筆者のスケッチ
  その風景というのは一口に山紫水明などという言葉では片づけられない、苛烈な気候に耐え抜かれたすえの山々や谷間から流れた水を吸い込んだ 湖水と、その岸辺を流れる様に枝を伸ばすカシの木の群に出会って感動しないものはいないという。

  実にそのワーズワースは終生、機会があるごとにあらゆる手段を使って、鉄道本線からわずか30分ほどのウィンダミアへの鉄道敷設に反対しつづけたのである。今で言えば環境保全である。
  当時立てられたという「おいでくださるなら馬車でおいでください」とい う看板は 未だに健在と聞いた。
 それから百年の時を経て、昭和の初め昭和3年(1928)杉村楚人冠が手賀沼の干拓計画に反対して、「手賀沼保勝会」の活動をしたことを知る私たち我孫子の住民にとっては共感をおぼえる。

  本論にもどすと、このワーズワースの自然を保護する思想が新大陸に渡って、1872年イェローストーンに世界初 の自然国立公園 の 誕生にいたる。そのあとセントラルパークなどの公共公園ができて、それが公園法が確立して我が国にも輸入された。
  それらと関連しながら我が国では風景学的な思想は見えはじめ、地理学者の志賀重昂が「日本風景論」を著し日本の風景の取り組みに新しいヴィジョンを切り開いた。

  また日本土着の山岳信仰に加えて、明治37年(1904)ウェストン牧師によって命名された「日本アルプス」の名が拡がって、西洋流の近代登山に発展、日本の風景論の一翼を担うことになる。しかし著者の強調するのは、いかなる魅惑的な風景であっても、人間の生活に基づいた生活景であってこその風景であって、その構築 ・・・ (?)、明治の輸入期に、その思想は、富国強兵や殖産興業などによってつぶされた可能性があるらしい。それでも美を求める日本民族の根底はゆるがず、身近な川や沼を汚しても、身近な美術館の門前に行列をつくる国民性ではある。

  しかし残念ながら、行政を含む、建築、都市土木、造園業などの専門家と一般市民の間の大きな隔たりや、自然景と生活景との差別の混乱の中で、 未だに生活景の概念が未熟であること を指摘している。
注) 桂冠詩人 英国で、王室が最高の詩人に与える称号。現在は終身制の名誉職で、年俸を与えられる。古代ギリシャで、すぐれた詩人に月桂冠を授けた故事に基づく。 (デジタル大辞泉
ワーズワース
 Sir William Wordsworth 1770年(1850年)は、イギリスの代表的な ロマン派詩人である。湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書いた。(wikipedia 抜粋)
ライダル・マウント荘  ワーズワースが1813〜1850年までの晩年を過ごした家。彼は1550年建築の農家を改造して、ここを最後の住まいとした。1970年のワーズワース生誕200周年を機に一般公開されたワーズワースの肖像画や遺品や初版本などが所蔵・展示されているほか、ワーズワース自身が設計した美しい庭園も残されている。庭からはウィンダミア湖とライダルウォーターの眺望が楽しめる。 (コトバンク抜粋)
志賀重昂  文久3年(1863年)〜昭和2年(1927年) 地理学者。号は矧川 しんせん。札幌農学校卒。1886年オーストラリア、ニュージーランド、南洋諸島を巡遊し《南洋時事》を著し地理学者として認められる。《日本風景論》(1894年)などで日本の山岳美・渓谷美を賛美し初期の日本の登山界の発達を刺激した。 (コトバンク抜粋)
ウェストン牧師  Walter Weston (1861年〜1940年)。イギリス人宣教師。 日本に3度長期滞在し、日本各地の山に登り『日本アルプスの登山と探検』などを著し、日本アルプスなどの山及び当時の日本の風習を世界中に紹介した 登山家 でもある。上高地に彼のレリーフがあり、毎年6月には上高地ウェストン祭が催されている。
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