高野瀬恒吉さんを偲んで 大塚 恒夫(会員) | |||||
●10年余り前、高野瀬さんとのご縁で、私は我孫子の景観を育てる会(以下「当会」)に入会し、街並み班のメンバーとなったが、そこで目にしたのは高野瀬さんの年齢を超えた精力的な活動ぶりだった。かねて、読書家であることは承知していたが、関係法規はもちろん「景観とは」などかなり専門的なものから「街路樹」「ムクドリ」など幅広く文献資料やネットまで渉猟し、その傍ら各地で年何回か開かれる県の景観セミナーやムクドリの鳥害対策といった勉強会などに、夏の暑い盛りにも出席し、折々は市の担当部署にも足を運んで情報を仕入れ、顔つなぎをしておられた。こうして培ったものが土台となって、班会議の議題提起、市や外部の専門家を招いての勉強会など多彩な活動の原動力となった。 ●高野瀬さんが立ち上げた街並み班は、手賀沼を頂点とするトライアングル、つまり我孫子の顔である駅前通りから我孫子のシンボル手賀沼に至る公園坂通りの歩道整備、それと交差するオオバン通り(国道356号線)の緑化および建設中の、オオバン通りから分岐して手賀沼に至る手賀沼公園・久寺家線(3-4-14道路)の早期完成の問題に取り組んできた。 ●これらはいずれも行政と深く関わることゆえ一朝一夕に結果の出る問題ではないが、高野瀬さんがあえてこの問題を班の最重点テーマとしたのは、我孫子市のスローガン「手賀沼のほとり、心輝くまちあびこ〜人・鳥・文化のハーモニー〜」にそぐわない駅周辺〜手賀沼の現状に危機感を持ち、わがまち我孫子を「住みやすくそして訪れたくなるまち」として活性化し、次世代に引き継がねばとの強い信念によるものと思う。 |
●街並み班の活動の中で特筆されるのは、「オオバン通り緑化推進プロジェクト」である。これは、街並み班+有志のチームで、メンバーに専門家である野口さんがおられたため、短期間に「オオバン通り緑化構想」(野口プラン)を完成し、市に提出された。市の方針は、まず3-4-14道路を完成し、オオバン通りと公園坂通りの件はその後の問題としてきたが、この問題を、長年粘り強く続けてきた当会の要請が実り、オオバン通りの緑化が市の景観審議会の議題に取り上げられ、さらに一部先行施工案がでるまでになった。しかし、完成直前のように見える3-4-14道路の開通は、まだしばらく先になる模様で、全体の完成時期は予測し難い。2009年4月、私が社協主催の筋トレクラブに入会した時、白髪温顔の存在感を示しておられたのが高野瀬さんだった。私より一回り以上も上の高野瀬さんにはきついであろうトレーニングを、2014年12月に閉鎖されるまで頑張り通された。 ●その後も、ご友人の市政ウォッチャーY さんを交えた「放談会」をするほどお元気だったが、1〜2年後には次第に外出がままならなくなっておられた。 ●昨年7月、私は瀬戸内海大三島の大山祇(おおやまづみ)神社を訪れたが、以前、高野瀬さんが職場に大変縁の深い神社なのに、ついに詣でる機会がなかったことをとても残念がっておられたのを思い出して、その御守札をうけ、お宅に伺ったのが直接お会いする最後になった。 志半ばで旅立たれてしまったのは大変残念です。 ご冥福をお祈り申し上げます。 (会員 高野瀬恒吉さんは、2019年12月20日に97歳で逝去されました。) |
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