我孫子の景観を育てる会 | 第97号 2020.5.16発行 創刊 2002.3.29 編集・発行人 中塚和枝 我孫子市緑2-1-8 Tel 04-7182-7272 編集人 鈴木洋子 |
景観の本棚−1− 中村良夫著「風景学入門」(中公新書) その2 冨樫 道廣 (会員) | |||||
本論は第一章から第七章、終章となっていて、国内だけでなく外国の風景も具体的ではないが、様々な側面から子細に分析している。日本人にはなじみ深い古典「源氏物語」の背景や、吉田兼好から、西行や芭蕉の紀行文のほか空海の思想にも及び、五言絶句や七言律詩も登場(注1、2)。風景の挿絵もなじみある近代画家ならともかく、国立博物館蔵の山水画など見たことのないものばかり、教養のない私など逃げ出したくなるところもある。その文脈を逐一紹介する能力は私にはない。 しかし通読したからには、その本筋だけでもここに報告するのが責務でもあると思うので、少なくとも私の理解する中での流れを申し上げることでお許しをいただきたい。 先ずは人間の目と風景の関係から第一章はスタートする。地に足をつけた人間の視点が風景の基本であることを著者は強調する。そこには人間の目が見たいもの、焦点からの環境が出てくる。その見たい焦点、確固たる存在を「図」、その周辺のつかみどころない背景を「地」と名づける。更に視野に入れる全景の大きさ、位置などを統計的に軽量化して、仰角、俯角をそれぞれ10度。水平角の幅は20度ぐらいがまとまりやすく眺めやすいと結論づけている。 次に風景の理想を追うが、桃源郷やユートピアなど具体性のないものよりは、古くからの言葉について、「山紫水明」とか「白砂青松」なども考えてみるが、古典的な山水画を追う羽目になる。それよりも、方々に古くから語られている「〇〇富士」「〇〇八景」など、とくに日本人には「八景」がなじみ深い。今や当会でも活躍中である。 これには由緒正しい古典が存在していて、それは長江(揚子江)の流れに沿った洞庭湖とそれに注ぐ瀟湘(ショウショウ)二つの川を描いた山水画から、八つの場面を季節、風雨などを分析して創られたもの。難解だが書き並べると、「山市晴嵐」「遠浦帰帆」「洞庭秋月」「瀟湘夜雨」「煙寺晩鐘」「漁村夕照」「平砂落雁」「江天暮雪」という八つの情景である。一見難解には見えるが、正確には分らなくてもその風景が、雨や風、鐘の音や夕日に帰る雁の群などが想像がつきそうである。 |
この「瀟湘八景」なるものが輸入されて、明応9年(1500年)、時の関白、近衛政家が近江の実景を八つに分析して「近江八景」が誕生したといわれる。以来方々で出来ては消えて、「金沢八景」など地名にこそなっていても、能見堂から見たという、江戸名所図会に明記されたものは今は見るかげもない。 それから日本人がとくに愛着を寄せる風景に「山里風景」がある。全国どの都市でも山里構造はある。これが日本人の原風景といえるのかも知れない。更にその境に道があることを著者は特に指摘して、その例を大岡昇平の「武蔵野夫人」から「はけの道」を特記した(注3)。我孫子住民の私たちは、こっちの「はけの道」が元祖だと言いたいところであるが。 更に面白いことは、風景には品格の優劣があるといい、ドイツのアウトバーンの様な、哲学をもって設計されたものから、高級ファッションから電柱にいたるまで、筋を通すことなく雑食してしまった町もある。 風景学側からの希望を言うなら、都市風景の魅力の基本は他者との協調的共存の姿であろうということが、結論に近い。我が国伝統の造園術や建築術の中に育った土木工学技術や行政の技術が相まって、人間が地についた眼線で見る生活景を次へと発展させるのが風景学に託された使命だと思う。
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