我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第98号 2020.7.18発行
創刊 2002.3.29
編集・発行人 中塚和枝
我孫子市緑2-1-8
Tel 04-7182-7272
編集人 鈴木洋子
景観の本棚−2 芦原義信著「街並みの美学」
             岩波書店(同時代ライブラリー)
               冨樫 道廣 (会員)
  お断りしなければならないのは、冒頭から蛇足になってしまったことである。本書との出会いは因縁とも運命とも言われる様なもので、筆者の学生時代の大恩師、財政学の林容吉先生の奥様がこの本書の著者の姉上様だったことである。60才を過ぎて、仕事もなくなり、我孫子の町で都市景観の政策に関わる様になったと遊び方々挨拶に行ったら先生はすでに御他界されていたが、奥様にそれならこれを読みなさいと手渡されたのが本書である。もう逃げられないと覚悟して読みはじめたというのがホンネである。

  それからしばらくして、幼なじみの令嬢夏子さんに著者の御子息、芦原太郎氏の設計事務所に連れていかれ紹介された。当時彼は新潟県村上市のまちづくりに情熱を燃やしていて、こっちが我孫子で景観をやる話をしたら、又、まことに示唆に富む話をしてくれた様だが、こっちはまだ未熟もの、何を教えられたのか今では記憶にないのが事実である。

  さて本論であるが、著者は東京大学、武蔵野美大の名誉教授であり、建築学者である一方、自ら設計研究所を経営する現場の実務家として活躍する先生でもある。その先生が世界中の都市の街並みを見て回ったのである。

  「建築とは屋根と外壁によって自然から切り取られた内部の空間を含む実体…」という書き出しから始まる本編は、まるで大学の建築科に入学したての新入生が他学部の学生と同席しての共通専門科目の授業が始まる様相を感じさせる。

  その先生の目にとまる第一の街路景観はイタリアだった。城壁に囲まれたような一軒の建築そのものがくり広げられる街並みは、どこまでが建築で、どこからが街路なのかわからない。我が国の常識から、道路ができて、それに沿って住宅が出来るのとは違って、建物の形によって街路は狭くなったり、自由な角度で曲ったり交差したりもする。街路は建物の外壁までキッチリ舗装されていて、その間にあいまいな空間はない。その連絡した空間は住宅のコミュニティの広場にもなっているのである。

  前稿で説明した景観の視座で、「図」と「地」という概念があったが、この著者もその説明するのにわかり易い、エドガー・ルビンの「盃の図」(下図・注参照)を図示して、「盃」の部分と、「人の顔(向き合っている)」とが見方によって、それぞれが逆になっているのが分る。街路に面した部屋の「うち」と「そと」は分厚い壁を境にして、屋根があるかないかの差だけである。ふり返って我が国の場合、玄関では普通に靴を脱ぐ。靴をはいている空間は「外部」で、ぬいだら「内部」という。これを著者は和辻哲郎の名著『風土』から引用している。そこには「家」の概念は「うち」で、それ以外を「そと」という世間を指すこと。「うち」では個人の区別は消滅して、妻にしてみれば夫は「うち」、「うちの人」、「宅」であり、夫から妻は「家内」ということになる。

  その内部から通じる街路の行き先は、必ずといっていいほど「広場」に遭遇する。とくにイタリアには広場が多い。中世のものでは、ヴェローナやフィレンツェが有名だが、ルネッサンス期にはダビンチとかブラマンテの作と言われている名作「ピアッツァ・デュカーレ」があり、バロック期には「サンピエトロ」など数えきれない。
  
  その全部とは言えないが、正に芸術作品とも言えると著者は賞賛する。住民の生活の場から賑いのある生きた空間で、単なる「閉鎖空間」ではないのだと。その中にいるだけで、絵画と彫刻なら見物するだけなのに、広場はその中にいるだけで芸術を体験するのだという。

  その様な広場を建築の技法で作られた最優秀作がマンハッタンの有名な「ロックフェラー・センター」だと結論づけた。これを写真入りで図面で説明しているが、5番街と6番街の間で48ストリートから50ストリートの3ブロックの約5万平米(約1万6千坪)で、都市の真ん中とすればかなりの面積である。そしてその一部が道路面よりも下げられた、サンクン・ガーデン(低い庭)技法という手法で造られていて、正面の入り口に達するには4ヶ所の階段のどれかを通らなければならない仕組みになっている。

  この低い広場にはたくさんの傘に覆われたレストランが並び、ニューヨークで一番の人気場所になっている。この技法はイタリアのピアッツァの様な空間を実現するため周囲の建物の代わりに「隅角」を側面と壁で固めることによって比較的容易にその落ちつきを保証できたものである。そのあと人気のスポットの建設が「ヴェスト・ポケット・パーク」と呼ばれるものが方々に造られた。ニューヨークでもその近くにわずか150坪ぐらいの敷地にある、「パ レイ・パーク」などはそれで、奥には高さ12フィートの人工の滝が眺めと響きで人を引きつけている。

  本書の最後は建築を志す者、あこがれとも言う人、「ル・コルビジェ」の作品を話題にする。日本の建築家も教えを乞うたり、影響を受けたものは多いはず。前川国男の「東京文化会館」や、丹下健三の「代々木総合屋内競技場」などが代表的なものだろう。著者は「ル・コルビジェ」を探求したくてパリに行く。そして彼の作品の「スイス学生会館」に会って、調和の取れた美しさに出合うが、実に多くの作品を探求して、建築物というよりは、コンクリートで創り上げた巨大な彫刻という、「住む」という機能を取り除いて、単に眺める方が一番美しいと思ったらしい。

  いろいろ町を見物してみて、街並みはそこに住む人々の歴史のなかでできたもので、その方法と手法はその風土と人間とのかかわりで成り立っているものだというのが著者の結論である。― END ―
(A)盃が図 (B)向き合った顔が「図」エドガー・ルビンの「盃の図」(本書より筆者写す)
注)「盃の図」:1915年頃、デンマークの心理学者エガー・ルビンが考案した多義図。"ルビンの壺""ルビンの顔""図地の壺""ルビンの杯"ともいう(Wikipedia)
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