PART 掘.魯韻瞭察平渓斂遏新木・古戸)編
         (平成14年2月作成)

国道356号線の北側の台地から新田に沿ったハケの道に下りる坂道にスポットを当ててみた。台地の北側に大きく広がる田園と、利根川の土手越しに常総の景色が望める地域である。18の坂道を収録したが、何度も何度も歩いているうちに、いろいろな発見が出迎えてくれた。

不思議な坂の名前があって、その由来がわかるまでにかなりの日時がかかった。その名は「かいむらんとの坂」といって、湖北中の北側の斜面を上りきったところにポツンとお墓があった。近くの農家の方に訊いた「おお坂」「東べた」「観音坂」は何となくわかったが、「かいむらんと」だけは何度聞きなおしても同じ答えが返ってくる。途方に暮れて、景観推進室の桜井さん(当時、前図書館長)に助けを求めたら一気に氷解した。桜井さん曰く、「かいむ」と「らんと」は別々の意味で「かいむ」は屋号の貝右衛門の略で「かいえむ」からきている、「らんと」は卵塔のことでこの辺りでは墓の事を「らんと」と言うと(因みに墓場はらんとば)。そうか、貝右衛門さん家のお墓という意味だったのか。「貝右衛門家のお墓がある坂」だったのだ。果たして表札に屋号の「貝右衛門」と書いたお宅が近くにあった。

ここには忘れられない坂があった。それは単なる坂ではなくて、坂同士が集まって話し合いをしているような、不思議な空間がそこにあった。古戸の北の台地の斜面林の中にひっそりと、坂が四辻に交差しているのだ。高橋正美さん(元会員)の挿絵(イラスト)が素晴らしい。


初めてここを訪れた時、何か不思議な揺らぎのような感覚に襲われたものだった。「坂の迷宮」という本を思いだした。坂の空間の研究をライフワークとしている志賀洋子という方の著書で、帯には「逢魔が時、幽霊や妖怪が坂でお待ちかね。」とある。私はここを「坂の迷宮」とひそかに名付けている。勿論「坂道八景」の一つである。

PART 検仝佶迷 編 (平成14年4月作成)
湖北台の「四季の道」と「手賀沼ふれあいライン」の間にあるいくつかの坂道を辿ってみた。この辺りは山林と農地だったところを住宅公団(当時)が開発した街である。整然とした街並みが広がる南斜面の公園都市の中に街の坂が点在する。

湖北台団地は1970年に管理が開始された。丁度我孫子が市になった時である。手元に団地の建物が完成した直後の航空写真がある。ここにお住いの柏原さん(会員)から譲り受けたものである。団地の北側は戸建て住宅が造成中で、南側は田畑が広がっている。「四季の道」と「手賀沼ふれあいライン」この二つの道を結ぶけやき並木がこの街のシンボルである。「けやき通りの坂」として坂道八景に選ばれている。

西方の住宅地の南側には「岡発戸都部の谷津」が広がっていて、そこは「我孫子のいろいろ八景」の宝庫である。谷津の風景を高橋さんが挿絵にしている。

PART 后|翔 編   (平成14年5月作成)


「中峠の坂は静寂に包まれている。谷津を辿る小道も、城址の森も、深いしじまの中にある。遠い昔に戻るような、そんな思いで歩いていると、やがて、小綬鶏の声で目が醒める。そういう処だ、中峠の坂は」。初めて此処を訪れた時の印象をこうマップに記していた。城址コース9坂と谷津コース11坂に分けて収録した。

日の出通りの北側、芝原(中峠)城址は、古利根自然観察の森として整備され、自然林と古利根沼を見下ろす景観が景観賞を受賞している。"我孫子市みどりの森のボランティア"の皆さんの活動によるものである。城址に沿った道を東に歩を進めると、やがて中峠追分の道標が現れ、そこから先が谷津の坂道の領域である。マップは湖北駅から案内しているので、ここから行くと逆コースになるがそれもまた良し。

ここでは、いくつかの谷津の縁のハケの道を辿りながら出てきた坂道を上り下りする。エリアの東の端に「高根の坂」というのがあって、下ったところに農家の廃屋が1軒あった。その前は田園が拡がりそこに小さな祠の水神宮が祀られている。後年「我孫子のいろいろ八景」の発表会コンサートの映像に使われた所だ。大久保光哉先生が寅さんっぽく例のカバンを持ってこの家に帰ってくるシーンだ。

「タイムトンネルの坂」と名付けた坂があった。林の中のトンネルのような坂の上が丸くぽっかりと開いている。イソップ物語にウサギが出てくるこんなシーンがあったような。ここも高橋さんに描いてもらった。(下のイラスト)


こうして、半年かけて5巻のマップを上梓した。すべて手作りの拙いものである。高野山、東我孫子、南新木、布佐の方にもまだまだ素晴らしい坂道は沢山あるが、続きは後進に託そうと思い筆を置いた。いつかどなたかが手を付けてくれることを期待している。

■もどる