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第3回目に登場してもらった松原隆一郎教授が、本年の7月から日本経済新聞の夕刊のコラム「あすへの話題」を担当していたことは先に紹介した通りだが、今年末で最後の稿になるというので熱っぽく語りかけている。 それは目下コロナ禍でダイバー社会の求められている中で、政府の政策が全く当り前のデータを、見えない状況で国民を振り廻している感じがすると言うのだ。統計によるデータがもっと国民の目に触れるところにあれば、そのエビデンスも納得がいくだろうと。 実にホンネは、都市中の電線類の地下化に及んだ。本棚でも一部出てきたが、電柱を撤去する「無電柱化推進」は、法で施行が決まって4年にもなる。しかし現今では何とも遅すぎて、このトレンドでは、完成するにはこれから1500年もかかると言う。 |
電柱が災害に強くて復旧も早いなどという議論を今だに耳にするが、令和元年の台風15号での長期停電で明らかな通り、もう通用しない。対称的に地中化した地域の被害は最小で済んだはず。そこで来年こそは、エビデンスに基づく政策の施行を政府に期待したいと言うのだ。 景観に関心を持ち、電線類の地下化を願う私たち我孫子市民にとっても、1500年などという気の遠くなる展開は是非止めてもらいたい。かつてはよそのまちよりいち早く駅の南口からの停車場道沿いに地下化が出来た先進都市だったはずである。(2020年12月31日記)−END− |
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第5回目の本棚「志賀重昂の『日本風景論』」に手をつけて、正月になってしまいました。この「日本風景論」のあと、志賀は諸国を漫遊して、様々な諸国の様を感じ取ったところを、「世界山水図説」(富山房)の中に書いています。自国の風景と見比べ、犬山城から見る木曽川を「日本ライン」と言ったり、信州の青木湖を「日本の瑞西(スイス)の湖水」などと言って、「日本における世界の山水」などと項を改めて書いています。そんなことを頭に想いめぐらしながら、元旦の夜、テレビの「ウィーン・ニューイヤーコンサート」をじっくり、たっぷり、一時も離れることなく見聴きさせてもらったところです。 今年はコロナ禍の中で、何時もなら超満員になるあのウィーンの楽友協会の「黄金の大ホール」、何千人どころか、万という聴衆を飲み込むのに、今は一人のお客も見当たりません。ただ舞台を彩る美しい花が、今年は赤いのが多そうでしたが、さびしく縁取りをしていました。 今年の指揮は日本でも人気あるマエストロ、「リッカルド・ムーティ」。何と6回目の登場だそうです。ナポリの生れで、フィレンツェやミラノのオペラでは前からかなりの活躍でしたが、ウィーンという厚い壁はムーティを迎え入れるのにも苦労はあった様です。でもさすがに目をかけられ、このニューイヤーには1993年からの登場です。毎年このコンサートには世界中の指揮者の檜舞台になっていて、その名を馳せた名指揮者たちが登場しています。日本の小澤征爾も2002年に出番でした。 ウィーンのニューイヤーコンサートでどの指揮者も最後を飾るのは、「美しき青きドナウ」です。この曲はシュトラウスの代表作でもあり、ウィーンの代名詞の様なものになっていて、たとえばウィーンで観光バスに乗ると、ガイドさんが先ず第一にやる仕事は、この曲を流してガイドをスタートするのに、言うことは「ヨハン・シュトラウスは色がわからなかったでしょうか」と。「どうしてって、こんなに濁っているドナウ川なのに、美しき、青きドナウ…なんて!!」と強い言葉で言い訳をするのです。私の知る限り、(時は1980〜1990年当時ですが)ドナウに限らず、ヨーロッパの水系は、ライン、マイン、ネッカー、エルベ、ドナウ等々、どれを見ても化学、工業の集積や展開、開発に影響されて、河川は甚大な被害にあったのでした。特に、ライン川などは、スイスのバーゼルからオランダのロッテルダムに通じる約1000キロの大動脈は、ヨーロッパの大通りになって、各国の旗をなびかせた大型の貨物船が行き交っていたものです。 そして観光船などの船端などに立っていようものなら、水しぶきを浴びて、白いYシャツなどシミがついたものでした。 |
丁度その頃、我が手賀沼も異臭プンプン、水は濁って、CODも20以上、時には28までもあった様です。丁度、ライン川から帰った頃だったと思いますが、手賀沼はまだいい方だと言ったのを記憶しています。ライン川の各地の港には、汚染の度合を測定するための大きなペーハーの測定器が、デジタル表示でいたる所についていたのもいい思い出です。 「美しき青きドナウ」が終われば、最後の最後のアンコール。これが又決まって、シュトラウスの「ラデツキー行進曲」。聴衆は全員で拍手の応酬をするのが毎年ですが、今年はお客さんは一人も見えません。きれいに椅子が並んでいます。でもマエストロは何千、何百の客席に向かってタクトを振ります。テレビの前にいる私、ただ一人のために振ってくれているみたいです。ならば私もムーティの棒に合せて、はじめは「静かに、低く、そっと…」次は「大きく、高く、頑張って!」と。申し訳ないぐらい楽しい一時でした。ウィーン・フィルの皆様ありがとう。そして、マエストロ、リッカルド・ムーティ、御苦労様でした。 最後に嬉しいことを見つけました。このウィーン・フィルの楽団員の中に二人の日本人兄弟がいることを知らされたのです。それは第一ヴァイオリンの「和樹・へーデンボルグ」、もう一人はチェロの「直樹・へーデンボルグ」でした。この二人は三人兄弟の中で、父親は団員ではありませんが、スウェーデン人のヴァイオリニスト。そして母親が日本人のピアニストなのです。舞台での演奏中の顔がそれぞれ見えましたが、二人ともいい顔での演奏でした。そしてこの三人兄弟で今年は日本にやってくるそうです。そしてこの三人がカルテットを組んでコンサートを企画中と言っていました。是非お目にかかりたいものと期待しているところです。日本の誇りでもありますから。(2021年1月5日記) ―END− ![]() |
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