我孫子の景観を育てる会 景観あびこ_title 第103号 2021.5.17発行
編集・発行人 中塚和枝
我孫子市緑2-1-8
Tel 04-7182-7272
編集人 鈴木洋子
景観の本棚 −5−「志賀重昂著 日本風景論」/
「大室幹雄著『日本風景論』精読」 <後篇>
 冨樫 道廣(会員)
  後篇をスタートするにあたって、前篇と重複するところがあるかも知れないが、この「日本風景論」がいかに多くの人々に愛され、又どのような観点から人気が集まったのかを、その書評から少々探ってみたい。

  当時、刊行した本の売れ行きが良好だと、重版の際に著者に増訂することを許して、新聞や雑誌に掲載されたその本の書評を朱色などに印刷し、巻末に付載する習慣があった。 
この「日本風景論」について、「精読著者」の調べによれば、全国各地の新聞、雑誌から寄せられた長短さまざまな書評は48編の多数にのぼったという。それをカテゴリー別に見ると、(1)国家と政治、(2)社会と道徳、(3)科学と文学または芸術、(4)風俗などに分類される。

  特にその中でも、集中して評価されたのは、日清戦争という日本初の大戦争の真只中に於ける日本精神論よりは、これまで他には見ることのできなかった、科学的な地理学や、動植物学などの理学知識に焦点を合わせた科学と芸術の合体統合にあったと思われる。

  人々は華麗な漢文体による文学に、科学的な裏付けを求めていたことは想像に難しくはない。事実、志賀は、日本列島を俯瞰するにあたり、科学的に様々な角度から分析を試みている。先ずは日本の地形を二本の拍子木に見立て、その真ん中を大山脈が通っていることを考えるとき、その大山脈の山林が切り倒されるならばそれは原型の三角形になり、その頂点をめがけて水蒸気が多く凝結して、雲となり、雨を降らせ、雪となり、河の水源は全てこの三角形の頂点になるだろうと推測する。又その他の視点からは日本海岸の日本と太平洋岸の日本とを区別したり、南北や東西に二分した日本の地形分析にも及んでいる。
岩木山(岩木川の橋上より望む)本文の挿画より筆者のスケッチ

  しかし読者の納得しかねるのは、日本風景の優れて美しい原因を(1)気候、海流の多変多様なること、(2)水蒸気の多量なること、(3)火山岩の多々なること、(4)流水の浸食激烈なることを上げ、それを表現する3つの概念に(1)瀟洒(ショウシャ)、(2)美、(3)跌宕(テットウ)と結論付けたが、この言葉の説明が見当たらないことである。

  今日の漢和辞典などひっくり返したところで見つかるような代物でもない。特に科学者を任ずる志賀とは、『精読著者』によれば、常にそれぞれの場面において、定義に従って説明をしてきているという。そこで読者として、この風景の三つの概念を考えたいのだが、その前に志賀が日本風景を鳥瞰した視座、視線なるものを「精読著者」が分析しているので、それを先ず紹介しておきたい。
  多忙極まりない志賀のことである、落ち着いて一定の場所に長居して風景の記述を仕上げるなど考えにくいだろう。敷設の交通機関であったり、自然体の生活状況の中での事象であるほかあるまい。その第一は一定の高さから風景を鳥瞰しての記述はあまり多くないらしい。第二は汽車や汽船に安座しての沿線での眺めであるが、これは読者として想像して、十分可能性のあるところであろう。第三は「人力車」にゆられて、気の向いた速度で見物の記述である。あとでわかったことであるが、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がこの視座を利用して多くの美文、散文を残しているらしく、志賀もこれにかなりの拘りを見せている様だ。最後の第四は自分の足で歩いて、目の高さからの視座だが「精読著者」は志賀の風景論にこの眺めは少ないと言う。

「淡路国」本文の挿画より筆者のスケッチ

  以上の四つの視座を念頭におきながら、改めて難解なる三つの概念を考えると、「美」はともかく、「瀟洒」「跌宕」に関しては掲載された例文からの究明しかない。「瀟洒」の十項目に及ぶ風景・情景を通してもそこにまとまった意味の連鎖はない。ただ救われるのは具体的な淀川、東山、須磨などの固有名詞が見られ、それをまとめて「日本の秋」とし、「美」を「日本の春」の風景としたと思わざるを得ない。

  最後の「跌宕」であるが、昔の織田信長の文献に、「人の情意や行動の良・不良の判断にかかわる道徳的概念」として「跌蕩」というのが見受けられ、その「蕩」が「宕」と同義語と決めつけられているが、止むを得ないところもあるだろう。無理に結論を急ぐのなら、再三にわたり「精読著者」が志賀の学問の経緯について強調するのが、志賀の札幌農学校時代の授業は、試験も討論もすべて英語で、国漢学は札幌以外で得たことになっている。

  志賀の風景論の成り立ちを考えるとき、これまでの思想、論争などには全く関係のない「風景論」が出てきたとすれば、それは全く志賀の作品ではあるまい。志賀の漢文崩れの散文があってそこには新たな地学的、動植物の化学的な知識が散りばめられたのが風景論だったとその成立を待っていたかにも考えられるのである。

  更に難解な三つの概念もそれが落ち着くところは、それぞれ日本の具体的な風景であり、最も志賀らしいと言われるのが16条に及ぶ「跌宕」の項で、この勇ましい、元気のいい、一種の美文であることが読者に理解できれば、これまで難度の高い世界に秀でる日本風景の四つの要因とそれを象徴した三つの概念が落ち着いたことになるだろう。


■もどる