第11回 "取手駅の東を歩く" 5月11日(火) 堀 茂幸(会員) |
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●取手駅 9:00集合。私にとっては、おでかけ倶楽部デビュー、取手の街歩きも初めてということで張りきって、でスタートしました。参加者は11名です。 ●先ず向かったのが、長禅寺(霊場1番・5番・88番)。平将門が931年に創建した臨済宗妙心寺派の古刹です。観覚光音禅師が開基した新四国相馬霊場八十八ヶ所の発願・結願寺ともなっています。また、 境内にある三世堂は、さざえ堂様式の貴重な建築物です(写真)。厳かで森閑とした空気が体を包みます。 ●歩を進め、旧取手宿本陣前を通り八坂神社(3番)で掌を合わせ、立夏過ぎて緑濃くなる利根川の土手と河川敷を歩いて小堀の渡しに到着。コロナ禍の影響で渡船の定員が8名に絞られているため、乗船できなかったのは残念でした。それでも船着場から見る利根川の滔々たる流れは坂東太郎の名にふさわしい雄大さです。さて、元の道に戻り取手の丘陵を往きます。 ●急な階段を上り、遠く利根川を望む高台にあるのが念仏院(2番)です。静かな境内を抜けると県立取手二高の校舎、グラウンドが見えます。取手二高といえば思い出されるのは、1984年の夏の甲子園大会で全国優勝したことです。名将木内監督率いるチームが、清原・桑田選手を擁するPL学園と堂々力勝負の末、勝利しました。坂東武者の如き真に強力なチームでした。そのキャンパスの横にあるのが、薬師堂(6番)です。手編みの帽子を被った六地蔵が印象的です。 ●この先は旧台宿村に入り丘陵地帯の起伏を歩きます。場所によっては北の方角の眺望が大きく開け、丘陵の高さを実感することができます。観音堂(10番)、不動院(4番)続き、細い道を進むと県立取手一高のキャンパスが現れます。校舎横の急な坂道を登りきると井野天満神社に到着です。 |
沢山の鯉幟と花々が私達を迎えてくれました。境内には何やら陶製の不思議なオブジェやベンチ・ハンモックがあり、季節になると参道の階段には紫陽花が咲き誇るのだそうです。ボランティアの高齢の男性とそんな会話を楽しめました。 ●今回はさらに足を伸ばして大日堂(61番)でUターンです。道中、「本多作左衛門重次墳墓」の案内標があります。この御仁は日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙・・」の作者だそうです。 ●取手駅に向かう帰途に最終目的地の地蔵堂(20番)(下:写真)があります。ウッカリすると見逃しそうな細い路地を上り、広々とした高台に立つと何やら小さな達成感が・・。疲れた体に頂いたアメチャンの甘さが嬉しかったです。 ●今回巡った霊場は11ヶ所。八十八ヶ所すべてを巡った方もメンバーの中には何人かいらっしゃるとのことです。そして歴史、文化、樹や花のことなどいろいろと教えて頂きました。有意義で楽しい一日を堪能できました。 幹事・メンバーの皆様ありがとうございました。 PS:解散した後、奈良漬けを買ってご飯の友としています。 |
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第12回 "3(龍・白・正)泉寺と岡発戸・都部の里を訪ねる" 6月8日(火) 杉原 紘輝(会員) |
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●参加者は10名で、9時半過ぎに湖北駅北口を出発した。 まずロータリーの美しい花壇に和まされ、直ぐに龍泉寺(新四国相馬霊場76番)に着いた。表参道入口に古い石碑が並び、本堂前の広場では幼稚園児達が元気に遊んでいた。 ●参拝後数分で亀田森稲荷神社に着いた。鳥居の入口左脇に「倉稲御魂神」が祭神で安永2年(1773年)に創立され、守護神として五穀豊穣等が石碑に刻まれている。 ●神社を後に、途中の分岐道で庚申塔が数体、大木を背に集められていた。(下の写真)庚申塔は庚申信仰に基づく石塔で、干支で猿に例えられることもあり、「見ざる・言わざる・聞かざる」の3猿と村の名前等を記したものが多いと言われ、ここにも3猿が具現化されたものがあった。 ●しばらく歩き、白泉寺(22番)・八幡神社に到着。丁度鳥居の工事中で、関係者の熱い信仰への思いが伺われる。 ここから斜面林の中を下った底地にある、古来相馬の7つの井戸の一つと言われている「八幡の井戸」を見た。他の井戸がほとんど現存していない中で、この井戸だけは綺麗な水が今も流れており、護持への関係者の篤い思いが伝わってくる。そこから斜面林を出た所の前方は田園で、遠方の雲の中に筑波山が霞んで見えた。 |
●ハケの道を西へ進み、広い道路(四季の道)に出てから国道356号線を横切り、湖北台の閑静な住宅街に入った。名刹の正泉寺(73番)正面前に到着。暑かったので、隣の7号公園で10分間の休憩をとってからこの寺院に入った。この寺院は格式が高く歴史を擁し、鎌倉執権北条時頼の息女法性尼(桐姫)の為に、弘長3年(1263年)に真言宗法性寺と号し創建されたが、その後、曹洞宗に改め開山したと言われている。また、ここは「血盆経」(手賀沼に同教の一部が出現したとの縁起から)の重要な拠点となり、それが都部の地名由来ともいわれている。 ●最終目的地である湖北台8丁目の八幡神社は、静かな住宅地の中にひっそりと佇み、時代に埋没した印象を受ける。ここにも井戸の伝承があるが、そのことを表すものは敷地の中に見当らなかった。(下の写真は本殿)
●近隣センターで休憩してから湖北駅南口に到着。ここでも綺麗な花壇が我々を迎えてくれた。 ●今回のコースは、おもに湖北とその周辺地区の寺院・神社等の宗教施設並びにハケの道などの自然の景観や、対照的な現代のまちなみ等、それぞれの地域に息づく人々の多様な在り方を感じることができた。 ●改めて、有意義で楽しい時間であった。参加者のみなさんに感謝である。 |
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