20周年記念講演会を終えて      中塚 和枝(会長)
20年前の設立時を語るときは「景観に関心を持つ人達が〜」から始まり、そして最後の言葉も「出来る人が 出来ることを 出来るときに 楽しく」と決まっているかのようでした。

先輩たちが楽しく活動した結果が、我孫子の風物詩として定着しています。企業や財団が所有している景観資源を、ご厚意で市民に公開してくださる、我孫子ゴルフ倶楽部での「市民観桜会」と、日立アカデミーでの「日立庭園公開」です。また新しい景観の発掘として「我孫子のいろいろ八景」などの企画・運営も実現させました。

会報紙「景観あびこ」に連載した、会員の野口修さんの我孫子景観基礎研究20編を1冊にまとめ、「20年記念誌〜手賀沼水辺利用の未来像〜」として発行し、記念講演会も計画しましたが、折悪しくコロナ禍となり、計画は頓挫してしまいました。しかし今年、「手賀沼を囲む三者が揃って講演会を行なう」運びとなりました。

ことの始まりは当時東大大学院生の松本大知さんが「手賀沼北面の斜面林」を修士論文に取り上げ、そのインタビューを受けたことがきっかけでした。真摯に我孫子の斜面林に取り組んでいる姿勢に感銘を受け、会報誌への寄稿をお願いしました。(景観あびこ102号)
差し上げた「20周年記念誌」から永野先生をご紹介いただき、永野先生から柏市みどりの基金をご紹介いただきと話が広がりました。更に不思議なご縁は、当会の元会員2名が、かつて同じ都市デザイン研究室に在籍していたことです。(景観あびこ104号)

そのような流れとご縁で、東のフィッシングセンター(東大大学院 都市デザイン研究室)、西の北柏ふるさと公園(一般財団法人柏市みどりの基金)、そして北の我孫子の景観を育てる会が出会いました。活動の仕方は三者それぞれですが、目指す方向は同じ手賀沼の水辺、ヌマベ空間の利活用です。そして、若い人達の活動の話は2団体ともに楽しく躍動感に溢れていました。

これをご縁に、若い方たちの力を借りて、お互いに新しい協働の形で交流し、手賀沼の水辺の未来を考え、描けていけたら素晴らしいものが出来るのではと思いました。

開催に当たって、ご登壇頂いた講師の皆さま、開催準備、会場設営、オンライン配信、編集作業、開催の宣伝など、大勢の皆さまにご尽力頂きましたことを、厚くお礼申しあげます。

21年目の新しい出発の講演会だったと皆さまに思って頂けたら幸いです。
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意見交換と会場(アビスタ1Fホール)の様子

受付風景 川村学園女子大学の
研修生も参加(左)

講演会を終えて…お疲れさまでした
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※3本の講演の音声つきスライド動画
第13回 "印西の川めぐり  7月13日(火)      宮内 昭男(会員)
集合場所の木下駅を、梅雨空を心配しながら出発し、「中央公民館」「厳島神社」に立ち寄って船着き場へ着きました。「川巡り」は、狭い川幅の弁天川から、川幅の広い手賀川へ、そして六軒川から戻ってくる1時間の船旅です。(下の写真)

暫くすると「発作橋」の当たりで、コブハクチョウの群れが羽を休めているのを楽しめました。その後、細かな雨が降って来ましたが船の準備宜しく、幹事さんの隠れたご努力もあり、参加14名が快適に遊覧できたと思います。今回、参加したのは、「2つの思い」があったからです。その1つは、小説『旅の練習』です。

この小説の前半は、我孫子から印西が舞台なので、その場所がイメージと合っているか、行ってみたくなりました。但し、小説の主人公は手賀沼から、手賀川と弁天川の土手を歩いて木下に来ましたが、今回は木下からの船上での風景だったので、次回は土手を歩きたいと思いました。これ以上は小説のネタバレになりますので、もう「1つの思い」に移ります。
実は、私の祖母(旧姓 吉田きく)は印西(旧、木下町竹袋)の生まれですが、祖父(明治18年生れ)は茨城県の古河なので、馴初めに興味がありました。

今回遊覧船のガイドさんより昔の木下の話を聞いて、「馴初めはこれだ」と思った事がありました。それは蚕で、昔は養蚕が盛んで川沿いにも関連する建物があったそうです。祖父は製糸関係の会社で「勘定係」をしていたと聞いていましたので、仕事で利根川を下って、木下まで来ていたとしても不思議ではないと思いました。

祖母の足取り探し等で何回か来ていますが、今回の「川巡り」で、また木下の別な顔が発見でき、次回来るのが楽しみになりました。

こちらの船は全員女性(^^♪

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