鳥海基樹著 学芸出版社 |
|||||
| 著者は東京大学工学研究科の西村ゼミの優等生。 かつてわが会が主催した「景観シンポジウム」に基調講演していただいた千葉大学の宮脇先生とはほぼ同年の同窓と勝手に推測したところである。著者は大学院終了後、フランス政府の給費留学生になって、フランス国立パリ社会科学高等研究院から、パリ市役所外局パリ都市計画アトリエ研究員になり、その当時の研究記録を基にして本書を纏めあげたものと思われる。 我孫子の片田舎から、いかに景観まちづくりを云々するとはいえ、世界一の「パリ」とはあまりにも大きな隔たりを禁じえないのが普通だろう。しかし、それを納得して対峙することに覚悟を決めて始めることにする。 ともかく、日本人として、又世界の観光客としても「パリ」を知らない者を恐らく見つけるのに苦労するだろう。でもそれは、エッフェル塔やシャン・ゼリゼ、更にはルーブル美術館と、世界的文化遺産の集積に散りばめられた都市という印象を抱いて当然であるし、特に最近の2019年4月には、シテ島の「ノートルダム大聖堂」が炎上するという信じがたい出来事は世界の人々を驚かせたのは記憶に新しい。この場合でも、私たち観光客とパリ市民の反応は全く異なるものと言う。それは世界遺産という多くの観光客を引きつけるから(2016年の調査では、年間の往訪客はエッフェル塔の2倍の1200万人)というだけではなく、何かあるべきものを失ったという、心の拠り所を喪失したという感情だったというのである。 そもそもパリの歴史はこのシテ島から始まったことになっている。現在のパリは20の街区からなり、第1区がセーヌ川に浮ぶこのシテ島の西部を含む一帯、約22万�屐陛豕�ドーム約5個分)がスタートになっている。紀元前3世紀ごろ、西欧に定住していたケルト人の仲間「パリシイ人」がシテ島に集落を築いたといわれる。古代ローマ人はフランスを「ガリア」と呼び、カエサルの率いるローマ軍がこれを占領、シテ島を挟んでセーヌ川の右岸と左岸に橋を架け、格子状の街区を整備していったのである。 大きく流れるセーヌ川は最大の資源となって、南はブルゴーニュから西部海岸のルアーブルまで、地中海で生産された陶器や金属製品、衣類などをブリテン島まで運んだものである。その中でも「パリシイ人」の活躍は目覚ましく、多くは川船の荷役や運送の担い手となっていた。紀元後の3世紀頃になると、このシテ島の周りを「パリシイ人の町」という通称が広まり、最終的に「パリ」という地名が定着したというのが定説になっている。当時の様子が伺えるのが、挿絵に描いた当時のパリの紋章がそれを物語っているだろう。(右)
|
現代のパリの状況になるには、多くの時代とそれぞれの時代の支配者による執拗な都市計画がなされたことは言うまでもない。一般には1850年代のナポレオン3世と、1853年セーヌ県知事に任命されたオスマン男爵が有名である。彼が陣頭指揮をとった在位(1853〜70)の17年間はオスマン期と言われるほど、現在までに続くパリの都市の骨格とその姿の基本が出来たと多くの認めるところだろう。この偉大な都市パリを著者は、先に述べた表面的な観光客としてではなく、余裕をもって街中を徘徊してくれと言っている。そして、ルイ・ヴィトンのバッグなど持たないで、イヴ・サン・ローランのスーツなど着ないで、シャネルの匂いなどさせないで、普段着で街を歩けば必ず普通のパリを発見できるのだと強調する。 そこで我国との比較が発生するのであるが、一般的には都市再生となると、国家主導になるのが普通である。規制緩和や大規模再開発などが想定されるが、フランスの場合は基礎自治体主導で、既存都市組織を尊重し、さらに、当該地域の社会的状況、住宅供給や交通計画にも考慮した持続的積上げ型の都市計画を目標としている。 その内容を20世紀以降の国家的制度を見渡してみると、「歴史的モニュメント制度」「景勝地制度」「保全地区制度」「景観的文化財保護区域制度」等々であるが、これすべてが先に述べた積上げ型なのである。これを著者は本書のタイトルになる「オーダー・メイドの街づくり」―「界隈プラン」と言いたいのらしい。 それではそれ以前のナポレオン3世とオスマンの街づくりを何と言うのかといえば、著者は「プレ・タ・ポルテ」の都市計画(土地占用プラン)と言いたいのらしい。 「プレ・タ・ポルテ」なら、それは確かに一流のデザイナーの手によるもので、着る人が着れば格好良く、その反面いかに着こなしが良くとも既製服に変わりなく、自分の体型の変化に合わせてはくれない。一方「オーダー・メイド」の方は完成に時間はかかっても最初から納まりはよく、寸法直しさえすれば、体型の変化にも対応は可能だろう。もし一つしか持てないのであれば、これに超したものはあるまいと著者は言う。 本書で著者が考究したいのは、対象となる街の市民の位置づけである。国家行政の眼と市民の眼がどう異なるのかは、現場にいても分からない。ある建物や界隈が国家にはその価値が認められなくとも、そこに住む市民にとっては重要であり、保護したいと市民全体で思った時、パリではいかなる手段を行使するのかと言うことである。 著者は落ちついて街を見ながら行政作法を学んだらしく、「プレ・タ・ポルテ」でスタートした街がどうやって「オーダー・メイド」に至る過程や傾向、又実例をあげて我国での適否を議論したいと言っている。 −END−
|
||||
| ■もどる | |||||