ミュージカルに初出演           高 康治(会員)
人生100年時代、間もなく85歳になるが、山で言えば8合目を過ぎた辺りか?実は70歳まで年のことは気に留めなかったが、以降は意識して終活に励むようになった。まず商社マンだった現役時代から好きな旅は、リタイア後も続けて世界制覇が最重要になった。世界の全ての国を巡り、275ヵ国・地域(南極など)を訪れた。この間約9年は海外駐在した。半世紀にも及ぶ異国体験をベースに、7作の著書を刊行。

次に13年前より自宅内で「世界の人形館」という個人博物館の無料公開のほかに、都内や千葉県内で無報酬の講演を引き受け、義金や地球儀なども度々寄付してきた。さらに留学生に日本語を教えるなど国際交流に注力し、各種社会貢献活動に尽力中。お陰様で昨春には褒章を受章した。特に一昨年に妻が他界後は益々終活に拍車がかかり、今も毎日が多忙を極める。

そんな折柄に加え、コロナ禍で自粛を求められ鬱陶しくなっていた昨年3月。知人の都内在住の女性歌手より、11月に公演するミュージカルに出ないかとの打診があった。生来好奇心が強くて直ぐに飛びつくはずが、初体験につき珍しく固辞した。当時はNHKの大河ドラマ『青天を衝け』で時の人になり、日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一を演じて欲しいとの由。しかも外人タレントを含め総勢100人の出演者の中で主役として、晩年の渋沢翁をお願いしたいと。農民から幕臣、明治維新後は大蔵官僚から実業家へ。異色の経歴尽くめの偉人を演じるのは光栄だが、お芝居が全く素人の私には無謀な配役。即決主義の筆者に似つかわしくなく躊躇した。
 
 渋沢栄一を演じる
しかし、米国で日本人移民排斥など日米関係が緊迫した1927年、渋沢栄一と米国人宣教師シドニー・ギューリックが実現した「青い目の人形」を中心に平和を願う日米交流がストーリーの舞台と知った。米国からやって来た青い目の人形と、日本から答礼として贈られた「黒い目の市松人形」は両国を繋ぐ架け橋となり、今も大切に語り継がれているとか。昭和初期、悪化する日米の国民感情を改善するため日本国際児童親善会を創立したのが渋沢栄一。人形を贈り合う交流事業に奔走し、民間外交を推進。一方、筆者も2000体ほどの世界の民俗人形を所蔵し、人形には浅からぬ縁があるため無視できなかった。結局は国際交流の一助にもなろうと思い、ミュージカル主催者の熱意に根負けして出演を引き受けた。

とは言うものの、公演に至るまでが大変だった。周りの同年配を見ると認知症を患う人たちが多い中、84歳の後期高齢者がセリフを覚えるのは苛酷。しかも、重要な主役とあって、度々の長いセリフには閉口した。しかし、刺激的な若返りのリハビリになると前向きに挑戦し、約2ヵ月の猛練習に励んだ。歌・芝居・踊りから構成されるミュージカルは言わば総合芸術、出演者全員の足並みが求められる。その大半がプロやセミプロに交じり、アマの筆者が追いつくのは至難と思った。週に数度にわたり都内で行われた練習に加え、自宅でもネットで渋沢栄一本人の肉声を聴き参考にしながら練習した。厳しい特訓を重ねるごとに、渋沢栄一という別人格になり切るのがコツだと分った。
 
 子どもたちとの会話

幸い新型コロナウィルス感染症が鎮静化した昨年11月20日、都内の王子にある「北とぴあさくらホール」で公演され、『渋沢栄一と青い目の人形』というミュージカルに出演した。1300人収容の会場に、コロナ禍にも関わらず約600人もの入場者があるほどの盛況。 ミュージカルの幕が開いた途端、広い舞台の中央に1人で立ち、最初にセリフを切り出したのが何と筆者。その後は4人の子供たちとの会話(写真上)など4度の出番があった。最後は100人の出演者全員が一堂に舞台に上り、フィナーレを華やかに飾った。主役を務めたお陰で舞台の最前列の中央にいたのは言うまでもなく、2時間の公演は短くも感じた。

公演後は観劇した知人らを含め多数の人たちから、メッセージが寄せられた。それは筆者が渋沢栄一翁として適役で、感動的な演技であったと。特に孫のような子供たちと演じたお芝居が、自然で秀逸との賛辞を頂戴した。生涯現役の精神で何事にも挑戦したい気持ちにさせたミュージカル初出演となった。コロナ禍が落ち着けば国内の他に、青い目の人形の本場、米国での公演の話も出ている。そうなれば当然再出演にもなろうが、今回の出演が「最初で最後のミュージカル」にしたいと念じている。
 
 感動のフィナーレ
ふれあい塾あびこ公開講座”  吉澤淳一さん(会員)の『私の“ボランシカ”ライフ』を聴いて
               3月14日(月) 南近隣センター9Fホール    鈴木 洋子(会員)
当会の前会長の吉澤淳一さんの今までのボランティア活動についての講演が、ふれあい塾主催でありました。吉澤さんは、当会以外にも長く様々な活動を立案・実行されてきたことの集大成のようなお話でした。

実は私と会員の秋田さんは、この「ボランシカ」には深く?関わっていて、2007年に吉澤さんと社協で立ち上げた「ボランシカ劇団」にオーディションで合格し(全員合格)、シニアの方達に市民活動に参加して欲しいという劇を10年間で12公演実施しました。その活動のことも話されて、楽しく懐かしく拝聴しました。吉澤さんの長年の功績は、我孫子市にとってのボランティアの進歩と財産になっていると、改めて思った講演でした。

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