『人新世』(ひとしんせい)と
              「Well−Being」(ウエル-ビーイング) の時代に
                       都市の風景を探る (その2)                 冨樫 道廣(会員)
  次に「Wel l−Being」(ウェル ビーイング)の説明に入りたい。
  これはこれまで知られていなかったが、新語ではなく、世界保健機関(WHO)では憲章として述べられている(1946年)。それは「健康とは病気ではないかとか、弱ってないかということではなく、肉体的にも精神的にも、そして社会的にもすべて満たされている状態であること。」と定義されている。しかし、言葉は同じでも、現代発信された「Wel l−Being」とは、とくに「社会的」の項で、当時の規定された環境とはまるで異なることは誰の目から見てもわかることだと思います。

  今日、このコンセプトを組織的に取り入れている企業や学校は少ないのですが、早稲田大学が学内をあげて推進しているので、例をあげてみてみることにする。
(CANPUS NOW、2023/07)

  このWHOの定義の中で、「肉体的」、「精神的」の項目はいつの時代でも変わりはないが、「社会的」というのは我が国内部だけでなく、世界中、何時どんなことに変化するかは分からない。我が国では「社会的共通資本」などという逃げ道を作って、「人間的」、「文化的」、「自然的」というコスト・ゼロの地帯を造ってきた経緯がある。しかし今日では先に述べたように地球にコストを押し付ける時代ではなくなりました。
  早稲田大学では学内で行動するすべての教育、研究機関を通して、未来、社会に貢献する可能性を探っているのです。具体的には保健センターでは、学生と専門家(専門医)との環境づくりや、自己管理の取り組みをサポートしたり、学生生活課では医療費など個人生活のコミュニティづくり、正規課目では「メンタルヘルスマネジメント概論」を通じて、多彩な啓発企画を盛り込んだ「WASEDAスポーツ、健康月間」なるものを実施しています。

  サンプルにひとつ面白い企画を紹介するなら、朝食から栄養を見つめ直す啓発活動として「100円朝食」と言うのがありました。それは学食のうち「大隈ガーデンハウス」や「理工カフェテリア」などで朝食が取り入れられていて、のぞいてみると、こじんまりと「カレーライス」と「日替り定食」から選ぶことになっていて、いずれも100円です。「日替り定食」をもらって食べてみました。その日の日替りおかずは「サバの味噌煮」でした。食べてみて中々で、100円とも思えません。隣にいた学生君に聞いてみると、「親元を離れて、自己管理ができにくいのに、これは大変ありがたいです」と大変な大人の認識。正に「Well-Being」の途上にあると感心した次第でした。

  早稲田は昔から地方出身の苦学生が多く、それが学校の周辺に、2〜3畳の下宿住まいがほとんど。学校のボーディングなどはなく、合宿所といえば古くからの歴史ある運動部のものぐらいでした。それは少しは改善されたとも思いますが、それでも朝食を取らずに登校するものは多いそうです。そんなことまでに目に向ける「Well-Being」の姿勢、取り組みなのでしょう。

 今年は賃金も上がりました。パンデミックのせいもあって、テレワークなどの在宅勤務時間も増えているようです。更には週休3日が定着して、気の早い人は、都心の事務が終ると早々とセカンドハウスの信州や北陸方面で、田や畑で汗を流す人も見受けられるようになりました。

  極端な例ですが、「Well-Being」の住まいは、「不動産より、可動産の方が便利」とばかり、独立して設置したのが太陽光パネルを積んで大容量のバッテリーをセットした大型のバン。事務机、パソコン、コピー機など仕事に必要なものは勿論、キッチンセットに洗面トイレ、ベッドまで見事に積み込んでしまいました。資産税の高い神奈川から石川県に、安くするために移してしまいました。固定された部屋の窓から見る景色よりも、好きな所に移住可能、夏休みには小学生の娘も泊まりに来るようになりました。
  極端な例を書いてしまいましたが、少なくとも机の上でパソコンに向かっていた視野が外に向く方向になったことは理解できるだろうと思います。
  たまたま偶然ですが、今朝の日経の「プライス1」(8/26「NIKKEIプライス1」)に、「残したい日本の原風景」というテーマで大きく取り上げられていました。昔から我が国では、伝統的に「日本三景」や「近江八景」など番号をふって並べる習慣があります。今日の「原風景」のナンバー1は、果たせるかな、三景の一つ、「宮津の天橋立」でした。他はいろいろありましたが、第3位に、こっちが先に太陽光パネルで景観妨害の「阿蘇山」が入っているのにびっくりでした。しかしパネルなど何処にも見えない美しい阿蘇の山並みです。これなら、写真通りに許せるところです。

  Well-Beingの時代になって、個人の社会的に反応する対応が明確に表現される時代になってこそ、人それぞれのもつ原風景が如実に見えて、表現できるようになってきたのだろうと思います。

  昔、ドイツの友達を我孫子の景色を見せに案内したことがありました。終って何処が一番の風景かと聞いたところ、間髪を置かずに栄橋から見た利根川だと言ったものです。更に苦情混じりに真中を横切る高圧電線は切ってしまえ!とか、川に舟が一艘もないのは何故なのか、にもかかわらず両岸の道路は多くの車で渋滞が止まないと。早いところ、モーダルシフトをやれ、荷物ぐらい舟に運ばせたらどうかと、専門家並みに批判をこうむった記憶があります。

  これも彼の原風景が言わせたもので、彼は西ドイツのボンの生まれ、ボンで育ち、ギムナジウムも大学もボンでした。生粋の「ボン子」なのです。そこに彼の原風景が強烈に根づいていることは良くわかりました。ボンの町はライン川に沿って南北に走っており、とくにボン大学は川に接するぐらいに延びています。その先には旧所のAlterZol l(旧税関)が鎮座して、毎日多くの人々が見物に訪れる所でもありました。そのライン川は毎年、12月頃になると、必ず氾濫を起こします。とくに、大学の「ヤパノロギーゼミ」の教室は最も川に近く、水が到着までに時間はかかりますが、学生たちは、「ヴァッサー、ヴァッサー(Wasser、Wasser)とわめき叫ぶのがよく聞こえたものでした。それでも地域の人々は水を防ぐための堤防などついぞ造る気などなく、地域の人々は玄関先に水位が上がった時のための防水板などを用意して、その年の増水位の位置をマークするのが趣味のように思われました。地域にはその風土による文化があるようです。又、そのライン川はドイツの一大交通路で、観光船だけではなく、貨物、コンテナ、すべての交通手段の大要素になっているのです。ドイツには他にもハンブルグからスタートするエルベ川、ドレスデンを通ってプラハまで、又そこからはモルダウに名前が変わるのですが、そのように水路は重要な交通ハードになる為、我孫子の利根川を見た彼には、古くから焼きついた原風景が蘇ったのだと思いました。
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