『人新世』(ひとしんせい)と
              「Well−Being」(ウエル-ビーイング) の時代に
                       都市の風景を探る (その3 完結編)                 冨樫 道廣(会員)
   残り少なくなったので、我孫子の原風景に集中して考察してみたいと思う。かつて景観条例などの策定される前のこと、湖北座会の星野さんが中心になって、「手賀沼を愛する会」などという話し合いの会が、我孫子市、柏市、沼南町の2市1町のメンバーで手賀沼の最も眺めのいい所の話し合いをしたことがあった。古いことで全く記憶の程は確かではないが、根戸城址からの見下ろす眺めとか、ポプラの並木などがラインアップされたと思います。

  そのあとポプラは切り倒され、根戸城址も日暮さんが居なくなって変わってしまいました。

  原風景はもとより、風景とは常に変わっていくものです。当時、我孫子の風景の名所になりそうな所を選んで、日立の研修所の公開の折、三樹荘の村山さん、根戸の日暮さん、日立の部長さんにお集まりいただき、私有財の公開をどう維持、継続すれば可能なのかなどを話し合っていただいたことがありました。
  その中で日暮さんには力強いご意見をいただいた記憶があります。というのは、「皆さんが私どものところを愛していただけるのなら、何時まででも管理していきますヨ」ということでした。根戸は実現できませんでしたが、ゴルフ場、日立、三樹荘などは、私たち、「我孫子の景観を育てる会」で鋭意努力取り組み中であることはご理解いただきたいと思います。

  とにもかくにも景観は生きものです。私たち人間に生死があると同様、景観、風景にも生きも死にもあるのは当然のことでしょう。強いていうのなら、景観とは植物だけではありません。多くの生態系に守られていることも明記すべきでしょう。

  最近、ツバメが見えなくなりました。垂直の軒下に巣づくりをして、4羽、5羽のヒナを育てては、何処かに飛び立っていくのは美しいものでした。その巣を丁度して今度はスズメがヒナ育てをやっているのも面白い光景と見ています。

  ツバメは地上で採餌はしないし、地べたで餌を探すこともない、空を自由に飛び回り、昆虫を捕食する。水面近くを飛びながら一瞬のうちに水を飲み、水浴を行う。一方、スズメのほうは群れをなして鳴きながら仲間を集めて、外敵に備えながら、何でも食べる雑食である。

  そんな日常見えていた鳥たちが消えた中で、今では絶滅危惧種の「コアジサシ」が千葉の検見川の堤に現れた。3年ぶりである。「コアジサシ」は千葉市の鳥に指定されている。南半球からやってきて、野良猫と戦いながらも400ケの卵から巣立ったのは12羽だったらしい。千葉市は、縄を張るなど懸命の努力を急遽行うも残念ながら実らなかった。我孫子のオオバンもこんな事になりはしないかと危惧するのは私だけでもあるまい。
  いよいよ最後になってしまったが、原風景を考えるに当たって"Well-Being"の立場から基本的な個人差の明確なことを記しておきたい。それは、1869年、印象派のスタートに見られた、モネとルノワールである。

1869年 パリ郊外「ラ・グルヌエール」
モネ「モネ、風景を見る目」展 国立西洋美術館
ルノアール

  二人は、パリ郊外のセーヌ川に浮かぶ島の水浴場の前の同じ場所に並んで、キャンバスを立て、絵を描き始める所だった。ここは「ラ・グルヌェール」という「蛙の住む沼」という意味で、レストランやダンスパーティー会場として人気もあった所である。

  問題の絵はほとんど焦点は同じなのだが、その結果はモネは人物像を大胆に省略、光を反射して揺れ動く水面に樹木を表現することに執着したのに、ルノワールの方は行楽客たちの衣服の形や色をていねいに描き分けている。これを原風景の原点としたいのである。モネは光と水に特化され、ルノワールは人物像に集中したものと言いたいのである。
           ―END―
「都会の鳥の生態学」(唐沢孝一著 中公新書)より
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