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1-1.ウイリアム・モリスから始まるデザインの旅 今夏(2024年)、イギリスを旅行した。ロンドンとその近郊を巡る一週間程度の旅だったが、筆者自身、約30年ぶりのロンドンは、王宮を中心とした都市の骨格は記憶のままだが、街並の店舗や街を歩く人種の割合が変わったように見えた。 統計の推移を調べてみると、見方によって様々な数字が出てくるが、人口は2000年以降、約810〜220万人の間で微増しているのに対し、人口割合では、非白人の割合が全人口の中で10%以上増えていることが分かった。同時に、交通機関の発達で昼夜間の人口が大きく異なり、周辺部が今も拡張を続けるロンドンのような都市では、ボーダレス化が進み、最早、境界や定住人口は意味を持たないのだろうとも思った。 話を戻すと、今回の旅行を通して見たい建築の中にヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum/1852年設立/1857年現在地に移設/1899年現在名に改称)があった。この博物館には230万以上の現代美術や各国の古美術、工芸、デザインが収蔵されている。筆者としては、博物館の中庭に併設された「V &Aカフェ」に再訪したかった。
1868年にオープンしたこのカフェは"世界最古のミュージアムカフェ"とも称され、ジェームズ・ギャンブル、エドワード・ポインター、そしてウィリアム・モリスが設計した3つの部屋に分かれる。ギャンブル・ルームと言われる部屋は元々、デザイナーや画家として活動したゴッドフリー・サイクスがデザインし、彼の死後、ジェームズ・ギャンブルに託された円柱とステンドグラス、球状のモダンな照明が印象的な空間。ポインター・ルームは、肉を焼くグリルが置かれたので、グリル・ルームとも呼ばれていたようで、素材は木が油分を吸うことを嫌ったのか、光沢のあるタイルで構成されている。波のパターンや花、孔雀のデザインに東洋の影響が感じられるといった評の通り、手が届く位置に貼られたオランダ産の青タイルは、日本の鍋島焼を想起させる。
そして、モリス・ルームは、31歳のウイリアム・モリスが最初に手掛けた公的空間であることから、筆者は現存する「真のモリス・グリーンが観られる」と勧められた記憶がある。バブル全盛の30年前のこと、過剰な資金により多様なデザインが実現され、同時に消費された。その反動もあってか、モリスらが進めたアーツ・アンド・クラフツ運動や、手仕事による美術工芸の書籍やインテリア用具(壁紙・家具・ガラス製品等)を販売したモリス商会の活動がデザインの価値を守る重要な試みとして再評価され始めた頃だった。
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部屋の内部は、モリス・グリーンを基調とし、壁の石膏レリーフはオリーブを型取り、上部の装飾はウサギを追いかける犬になっている。建設には建築家フィリップ・ウェッブと画家のエドワード・バーンジョーンズが関わったらしい。フィリップ・ウェッブは、モリスの自邸であるレッドハウス(1860年)の設計も手掛けている。
あらためて訪ねて気付いたのは、作品のことよりロンドン市民と芸術の距離の近さだった。ロンドンでは美術館や博物館のほとんどが無料で入館できる。今回初めて訪れたテート・モダンも、役目を終えた発電所を再利用して近現代美術館にしたという建築的な興味に惹かれて行ったが、発電所らしい堅牢で大きな空間を利用した市民参加型のワークショップが行われていたり、この作品を無料で見られるの?と疑いたくなるような展示内容にも驚いた。 幼い頃からこうした場所で、芸術が社会に果たす役割を経験し、職業として自身の選択肢となることを理解すれば、芸術を志す個人と受け入れる社会との間に豊かな関係が築けるのではないかと感じた。
1-2.モリスの装丁から夏目漱石、白樺派へ 帰国後、テレビで本の装丁に纏わる番組を見た。その中でイギリスに留学していた夏目漱石が、モリス柄で装丁された本を見て感銘を受けたとあった。その影響は「吾輩は猫である」(1904年)に反映されているそうで、調べてみると装丁を依頼した橋口五葉に細かく注文した文章も残っているらしい。
そういえば、美術館や博物館に行く度、必ずミュージアムショップを物色したが、モリス柄で装丁されたノートはどこでも売っていて人気があるのだろうと思っていた。漱石の留学が1900年〜01年なので、1896年に亡くなっているモリスがデザインした本を目にしていてもおかしくない。そう考えてみると、アーツ・アンド・クラフツ運動も海の向こうの話ではなく、我々の身近で起きていたデザインの潮流ではなかったか? 特に我孫子には柳宗悦の三樹荘があり、宗悦の民藝運動とアーツ・アンド・クラフツ運動は何かと比較されて来た経緯がある。 加えて、志賀直哉と夏目漱石にも交流があり、朝日新聞で『こころ』の連載を終えた夏目漱石が、後任を志賀直哉に任せようとしたが、うまくいかなかったことなどもあったようだ。また、雑誌『白樺』の表紙が西洋画家の影響を受けた装飾的な意味を含んでいたことも興味深い。 つまり、アーツ・アンド・クラフツ運動を先駆とするアール・ヌーヴォーのような西洋由来のデザイン潮流であっても、結構、身近に日本で影響を受けた人やそれに近い活動をしている人がいて、関係ないと思っていた人も何か見たり、影響を受けたりする中で個人の美観やデザインの好みができているのだとすると、情報社会にあっては「デザイン」をキーワードに身近な潮流を探ってみるのも面白いのではないかと考えた。そうすることで、我々が求める景観のことも分かってくるのではないかとも・・・。 とりあえず、次回は早稲田の漱石山房記念館や日本民藝館を訪ねてウイリアム・モリスと我孫子の白樺派のつながりについて考えてみたい。 (次回へ続く) |
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