| 我孫子の景観を育てる会 | ![]() 創刊 2002.3.29 |
第126号 2025.5.17発行 発行人 中塚和枝 我孫子市緑2-1-8 Tel 04-7182-7272 編集人 大久保慎吾 |
建築家・工学博士 野口 修(会員) |
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| 3-1.ロンドン「ビュー・コリドー」の追記 前稿で取り上げたロンドンの景観規制、「ビュー・コリドー」(眺めの廊下)について補足したい。まず、この施策が全てのロンドン市民に受け入れられたものであるかのように書いたが、一方でロンドンには今後10年の間に数百棟の高層ビルが建つとも言われている。つまり、都市開発を推す強い圧力もあるわけで、東京都立大学の岡村祐氏の論文などを読むと、社会情勢に合わせて内容を更新しながら眺望や景観の保全に取り組む苦労を感じ取ることができる。
岡村氏の論文『英国ロンドンにおける新・眺望景観保全計画の基本的枠組み』(日本建築学会技術報告集 第16 巻 第 32 号2010 年)によると、2000年にロンドン市と32のロンドン特別区を束ねる広域地方政府としての大ロンドン庁が創設され、その下でロンドン眺望景観管理構想(LVMF)が策定されたことで、ロンドン中心部の眺望景観保全は、「ビュー・コリドー」を発展させた新しい局面に入ったとされる。 この変化の概要をまとめると、まずロンドンの景観計画に関する策定の主体が中央政府から大ロンドン庁に移り、直接公選で選ばれたロンドン市長が最終的な建設の許認可権を持つことになった。 次に「ビュー・コリドー」の対象であるセントポール大聖堂やウエストミンスター宮殿(英国国会議事堂)の俯瞰眺望以外にも目が向けられ、�〃�築物や並木通りを見通した先に、ランドマークが見える眺望や、�▲謄爛裟遒魍涜亟澆箒蕎紊�ら見渡す河川眺望、�N鮖吠顕衆篁困箸靴峠斗廚雰�築物が街並みの中に納まっている眺望など、保全すべき景観の数や種類が多様化し、眺望ポイントも26箇所に増やされた。 また、建築物の高さを数値で規制するだけでなく、モンタ ージュ画像技術を用いることで、意匠、質感、素材感などから景観への影響を評価する「景観アセスメント」が導入され、状況に応じた協議や創造性を受け入れる余地が残された。その一方で「ビュー・コリドー」の高さ規制ラインの幅は 300m から、大聖堂のドーム径35m の2倍である70mへ大幅に狭められ、高さ制限自体は緩和された。
下敷きにした論文が2010 年の発行なので、その後の社会状況を受けて、施策の細部はさらに更新されたと考えられる。冒頭で述べた通り、ロンドン中心部では過去 10 年間に200 棟の高層ビルが建設されたのに対し、今後10年で数百棟の計画があるとのこと。時流としては、ロンドンでもオフィスや住宅の不足を理由にジワジワと高層化が進んで行くのだろう。
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建設計画を却下できる権限を持ち、ロンドン景観の将来を一手に担うことになったロンドン市長を選ぶ立場にある市民の3
分の1は高層化に反対しているらしいが、ヨーロッパの歴史文化や建築に興味を持つ身としては、10年後に訪れたら「街の景観が一変していた」とはならないでいて欲しい。あらためて、どの国でも景観は政治の影響を受け易く、その保全には膨大なエネルギーを要することを感じさせられる。 同時に、都市の景観をかたちづくる建築デザインも、少なからず政治の影響を受けていることを忘れてはいけないと思う。建築のデザインが単に高層化を競ったり、不動産価値を高めるためだけの機能的便利さや材料の豪華さ、不要な開発を行使するものであれば、それらが集まっても新しい時代を切り開く景観を創るとは考え難い。 イギリスが生んだウィリアム・モリスは大量生産により手仕事の美しさが失われてしまうことを危惧してアーツ・アンド・クラフツ運動を主導した。そして、その活動はモダンデザインの先駆けとなり、多くの人々に影響を与え た。そんなデザインの潮流を探り、都市景観を考えてみたい。 3-2.夏目漱石とウイリアム・モリスの繋がり 本考察の第一回で「夏目漱石がウイリアム・モリスを知っていたのではないか?」としたが、現実は想像を超えてくるもので、ロンドン留学中の漱石は、しばしばヴィクトリア&アルバート博物館に足を運び、モリスがデザインした博物館内のカフェも訪ねたようだし、仙台から私費で渡英してきた土井晩翠や、同時期ドイツに留学していた藤代素人を案内して食事もしたらしい。また「漱石山房」の蔵書を受け入れた東北大学の「漱石文庫」には、モリスに関連した本が何冊かあるとのことだ。 モリスが、カール・マルクスの『資本論』を熟読し、マルクス主義に傾倒した社会主義活動家でもあったことか ら、漱石と結びつけて思想的に推察した文を読んだことがある。また、宮沢賢治がモリスの影響を多大に受けたことから、モリス思想を介して漱石と賢治が繋がれたことも・・・ ただ筆者としてはそうした思想の流れとは切り離して、漱石はデザイナーとしてのモリスが気に入っていたのではないかと思う。昨年、新宿区早稲田南町にある区立漱石山房記念館にて、夏目漱石の著作本の初版本コレクションが開催された。
そのリーフレットを見ると、モリスデザインの壁紙やタペストリーを思わせる表紙絵の初版本が多いことに気付かされる。また、同記念館に再現展示されている漱石の書斎が、モリスの自邸レッドハウスのドローイングルームと似ていることを指摘した論考もある。 ウイリアム・モリス(1834〜96)、夏目漱石(1867〜1916)、宮沢賢治(1896〜1933)に加えて、民藝運動の柳宗悦(1889〜1961)、白樺派の武者小路実篤(1885〜1976)、志賀直哉(1883〜1971)、1907年に渡英した杉村楚人冠(1872〜1945)と並べてみた。特に漱石や楚人冠にとってモリスは親世代くらいで、デザイン思潮に関して、当時最先端の影響を強く受け易い存在だったのではないかと思った。 (続く) |
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