* 我孫子の文化を守る会主催
  放談くらぶ
 
〜『武者小路実篤と我孫子
−志賀直哉との絆に触れて』を聴く〜
     6月21日(土)   秋田 桂子(会員)
表記タイトルの講演会がアビスタ第2学習室で行われ、当会から中塚会長始め6名が参加した。我孫子市船戸にある旧武者小路邸が、三協フロンテア株式会社グループの主催で毎月2回公開され、当会が受付や案内係をするにあたり、来場者の質問に答えるにつけても正しいことを知っておきたいと思ったのである。

更に、武者小路と言えば、私が中学生の時に初めて兄の本棚から手にした文庫本の作家だ。「大人はこんな小さな本の中に愛や友情を求めて浸っているのか」と思ったものである。

講師は、「我孫子の文化を守る会(以下、守る会)」・村上智雅子会長である。「守る会」は、「我孫子ガイドクラブ」と当会と共に「我孫子のまちの見える化」を推進している団体であるが、毎回のことながら豊富な資料(レジュメと貴重な映像)と組織力に目を見張る思いである。当日は、参加者も20代の方、県外の方と幅広く、満席の盛況であった。

村上さんは、武者小路がなぜ我孫子に住んだか?そして宮崎県に「新しき村」を作って移住したか?作家としてだけでなく絵を描くようになったか?など、志賀直哉との交流も含めて、彼の人間性や生き方を優しい声色で情熱的に語った。
そこに村上さんの我孫子や武者小路に対する愛情を感じた。村上さんが、こうして語ってくださることで、今を生きる私たちに大正時代に生きた作家の思いが伝わるのだ。

このような活動を通して、また一歩、「我孫子のまちの見える化」に近づいたと思う。
「守る会」の皆さん、村上さん、ありがとうございました。


講演の様子
【第25回 定期総会 開催報告】
令和7年(2025年)5月17日(土)
第25回定期総会が開催され、出席23名、委任状10名で総会が成立。

令和6年度活動報告、決算報告、監査報告、及び令和7年度活動計画、予算案、役員人事案の各議案が、全会一致で承認された。

役員人事では、大久保慎吾さんが副会長に、会計には飯沼明子さんが就任された。

飯田俊二さんが役員を退任された。
≪役員退任にあたって≫ 
       飯田 俊二(会員)
  今回、気力体力の限界を感じ、役員を退任することになりましたが、振り返ってみると、2007年に開催された日立総合経営研修所庭園公開のボランティア参加がきっかけで、当会に参加することになり、景観あびこの編集人として、第27号(2008年7月)から第53号(2013年1月)まで24回発行に携わりました。本来苦手な分野だったので苦戦しました。
  その後、会計担当となり、2019年5月杉原■輝(糸へんに宏)さんに引き継ぎ、その後は役員らしい仕事もできないまま今日を迎えました。当会での一番の思い出は、東日本震災後の故柏原さんの故郷亘理町を会員有志で訪問したことです。また、我孫子のいろいろ八景では、八景探しからスタートし、現在に至るまで参画できたのはいい経験でした。
  今回、我孫子市市制55周年記念式典で、自治功労で感謝状を受けました。当会の活動のほか、放置自転車の管理を皮切りに、まちづくり協議会の管理人5年、経理担当を10年、移送サービスでの運転ボランティア7〜8年、違反広告物の除去活動4年、いろいろやってきましたが、この間1週間ほど入院したこと以外は特に支障なく勤めてこれたのは、適度の緊張感の賜物でしょうか。ありがとうございました。
  手賀沼の夕暮れ …
          撮影:上平充子さん(会員) 
編 集 後 記





  野口修さんの論説「荻外荘」の復原・整備プロジェクトの取組み方を興味深く読んだ。「白樺派のまちの見える化」の参考になりそうな内容で、ぜひ現地を訪れたいと思った。
  また今野澄玲さんの「古利根沼」は100年以上前の大正時代に利根川の流路変更により出来上がった人工の三日月湖だが、景観十年、風景百年、風土千年の言葉とおり既に原風景となったようだ。「将門伝説の地」「水神山古墳・前原古墳」への八景歩き散策。6月から始まった公開期日限定の旧武者小路実篤邸跡の公開。それを応援するかのように、我孫子の文化を守る会の「武者小路実篤と我孫子」の講演会開催。手賀沼の美しい夕暮れ。今号も何とわくわくするレポートが多いのだろうか。我孫子は実に素晴らしいところだと実感した。(中塚和枝)

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