![]() |
-その9- 今野 澄玲(我孫子市教育委員会 文化・スポーツ課) |
||
| 1.荻外荘 ●景観あびこ第128号に野口修さんの荻外荘のお話を拝読し、数年前に荻窪を散策した時のことを思い出しましたので、理想的な郊外住宅地をご紹介できればと思います。 ●今回お話しする荻外荘は、善福寺川左岸の台地縁辺に立地します。JR荻窪駅から平坦な道を南に歩いて10分ほどの場所にある、かつて近衞文麿が住んでいた邸宅です。近代以前の荻窪は、中野、立川間に広がる武蔵野の山林や畑が続く農村地帯でしたが、明治期の鉄道開通をきっかけに交通の便が向上し、別荘も建てられるようになりました。当初、別荘として入澤達吉がここにこの家を建てたとき「田園情調」に懐かしい田舎を投影したそうです(荻外荘の建物については第128号をぜひ、ご一読ください)。 ●近衞の回想録「荻外荘清談(三)」によると当時の風景は「敷地は南を受けた丘で、庭の外には小川が流れ、その先が田圃になつて、向の丘につゞいてゐるのであるが、目に入るところ、あまり建物などは見えず、恰度晩秋の頃であつたから、周囲の松林の間には紅葉も美しく、丘や原には、薄の穂が波打つてゐるとういふ訳で、少年時代の目白あたりの風物も思ひ出され、久し振りでふるさとへ帰つたといふやうな感じがしたことであつた」とあります。近衞は少年時代に住んでいた山手線にある目白駅界隈の風景と、荻窪の風景がとても似ていると述べています。現代の私たちが知っている風景とは共通点が見つからないような不思議な話ですが、近衞家が目白に住宅を移した明治35(1902)年頃は武蔵野の風景が目白にも残っていたようです。現に目白周辺の地形は神田川沿いに台地が広がっており、なるほど、荻窪と風景が重なって見えてきます。邸宅跡地はいまも「近衞町」の名で親しまれており、近衞家の門前に植えられていたといわれる木が残っています。その他にも目白には山縣有朋の邸宅(現椿山荘)や村川堅固の邸宅もありました。このことからも自然豊かな郊外住宅が存在していた名残が窺えます。 2.荻外荘と我孫子 ●近衞文麿はゴルフが好きでした。昭和5(1930)年に我孫子ゴルフ倶楽部が開場すると、翌年、ゴルフを楽しむために別荘を構えました。場所は近隣センターこもれびが建てられているところです。近衞は親子で我孫子ゴルフ倶楽部の会員で、別荘は近衞が好んだ和風の家と伝えられていますが、残念ながら昭和14年に起きた火災により焼失したため詳細はわかりません。 |
●ゴルフ場がないころの様子は昭和5年の地図から窺えます。これを見ると、成田線の南側には家が少ないようですが、ゴルフ場ができるとこの辺りの松林を切り拓いていることがわかります。昭和13年2月14日『東京朝日新聞』に掲載されている広告からは、我孫子ゴルフ倶楽部周辺の土地が以前から分譲されている様子が窺えます。そこには、「近衞公始め諸名士の別荘は樹間に点在し色とりどりの近代美が調和され、将に一幅の絵のようである(後略)」と、分譲地の美しい景色が紹介されています。また、当時、東我孫子駅はなかったので、我孫子駅とゴルフ場を乗り合いバスが結んでいることが広告には記されています。こうして、東我孫子の分譲地を皮切りに嘉納農園跡地の分譲と、我孫子は田園地帯から郊外住宅地の姿へと移り変わります。 3.荻窪と我孫子 ●次は荻外荘があった荻窪と我孫子の地形を見てみましょう。みなさん、薄々気づいているかもしれませんが、近衞が述べた荻窪の風景を想像すると我孫子の風景が重なるかと思います。 ●例えば、幼き頃の村川堅太郎先生の日記には旧村川別荘周辺の様子をこう書いています。「大正7(1918)年1月7日この地には松が多くて僕の家で買った地面にも大きな松が三十二本ある。家の地面は実に眺めのよいところで前が低くなっており下には清水が少しずつわいている。その下は他人の田地でその向こうに葦が生え沼になっているのである。家の地面は子の神というお宮の側にあって割合眺望が良い。前には沼を西には秋なら富士を眺める事が出来る。」この文章と近衞の文章を見比べると、彼らは同じような風景に心地よさを抱いていることがわかるのではないでしょうか。 ●また、別荘を建てた入澤がこの地を選んだのは『東京新聞』に掲載された「東京沿線ものがたり」によると「東京の北が乾燥して健康によいところから荻窪の地約二万坪を買い入れ別荘代わりにしたのである」「むろん、そのころの荻窪は杉やケヤキの森のなかで空気も清澄そのものだった」とあり、これを見ると、武者小路実篤が我孫子に来た理由と同じであることがわかります(詳細は第123号をご覧ください)。当時の人々には郊外住宅とは、余暇を楽しむための場所であり、同時に健康を得るための環境であったことがわかります。 (次に続く)
|
||
![]() |
![]() |
||
| 東我孫子駅周辺地図 (左:昭和5年)(右:昭和24年) | |||