7-3.『 VILLA COUCOU 』の話
  駒場通りを北に抜け、帰りは代々木上原駅から新宿に出ようと歩いていると、既視感のある通りに出くわした。6月に訪ねた住宅建築『 VILLA COUCOU(ヴィラ・クゥクゥ)』が近いことに気付いたのだ。この住宅は、建築家で早稲田大学教授だった吉阪隆正(1917〜1980)と吉阪が主宰したU研究室の設計で、元はフランス文学者で早大教授の近藤等が建主だった。その後、住み手だった近藤夫妻が没して解体も検討されたそうだが、現在は女優の鈴木京香さんが継承して定期的に公開している。COUCOU(クゥクゥ)は、フランス語でカッコウ。建主の妻であるカツコさんのニックネームということだ。

 吉阪隆正は、日本における近代建築の黎明期に前川國男、坂倉準三らとフランスの巨匠ル・コルビジェに師事したことで知られ、帰国後はアテネ・フランセや早稲田大学の八王子セミナーハウスなど、自由形態のコンクリート建築や大胆な木構造の山小屋を手がけられた。登山家としても有名で『 VILLA COUCOU 』の建主は、早大山岳部の後輩ということだ。

写真5:『VILLA COUCOU』の外観・内観(下)
  一方、筆者が注目するのは吉阪が今和次郎にも師事していたことである。今和次郎(1888〜1973)は、建築学や民俗学の研究者として早稲田大学理工学部建築学科の教壇に立ち、『考現学』を提唱した。元々は民俗学者・柳田國男の門下として『白茅会(はくぼうかい)』に所属し、日本やその周辺地域の農村生活調査、風俗調査、服装研究を行うなど、民家研究と生活学の礎を築いた。調査内容をまとめた独特のスケッチは、現在でも建築を学ぶ人に影響を与えている。

  そんなこともあり『 VILLA COUCOU 』の現在に関しては、空間内部のスケールや細部まで造り込まれたディテールなど、新鮮で感心するところも大きかったが、庭の在りようには閉口した。今和次郎の下で民家研究や集落調査に参加した吉阪の生活観を垣間見るべき庭が変にデザインされており、「なんでも"アート"で言い抜けるなよ」と、広告媒体化された現在の姿には正直がっかりした。ビジュアルだけでなく、もう少し硬派な議論がなされても良いのではないか?

写真6:ル・コルビジェが設計を担当し、前川・坂倉・吉阪が協力した上野の国立西洋美術館

7-4. 本年のこと
  ところで、今和次郎が籍を置いた『白茅会』を主宰した柳田國男(1875〜1962)は、我孫子市布佐で幼少期を過ごした。民藝運動の柳宗悦(1889〜1961)とも比べられる柳田についてはこれまで触れる機会がなかったが、我孫子での痕跡を辿りながら、本年は折に触れて見直したいと考えている。また、吉阪隆正に触れたことを機に、コルビジェや現代建築に繋がるデザインの潮流についても考えてみたい。

                              (次号へ続く)
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