-16- 後田橋(我孫子エリア)     宮田 弘(会員)
今年我孫子に引っ越してきてから、いつも何気なく通り過ぎていた後田橋(※)を、今回「あびこの並木道」を書くにあたって、景色を眺めながらゆっくりと歩いてみました。
※我孫子駅北口/我孫子市我孫子4-45

周辺には、住宅地と駅方面を結ぶ生活道路が続き、その一部はハナミズキが植えられた並木道となっています。春には白や淡紅色の花を咲かせるハナミズキですが、今は12月のため残念ながら花は咲いておらず、枝だけの静かな姿が季節の移ろいを物語っていました。とはいえ、冬枯れの並木には落ち着いた美しさがあり、橋の周辺に広がる冬景色とよく調和しています。
ハナミズキの花が咲く春の後田橋
冬の並木道

葉を落とした枝越しに見える空は広く、歩く人に穏やかな冬の気配を感じさせていました。春夏秋と姿を変え、地域の景観を彩ってきたハナミズキが、冬には控えめな雰囲気でこの道を支えているともいえます。

後田橋の並木道は、華やかな観光地ではないものの、季節ごとに違う表情を見せ、地域の人々の暮らしに寄り添うやさしい存在となっています。そんな事を考えながら後田橋を歩いていたら、まちなみの向こうで、朝焼けがゆっくりと目を覚まし始めました。

-39- 歴史と文化を見る南千住界隈
             11月13日(木) 小谷 滋(会員)
南千住の駅前広場に立つと、見上げる高さに地下鉄日比谷線の南千住駅がそびえています。この界隈にはJR線とつくばエクスプレス線の駅もあり、駅は合計3つです。

ここから日光街道に出て、北に向かって800mほど歩くと、隅田川に架かる千住大橋に至ります。青く塗られた三車線下り専用の頑丈そうな鉄骨造りの大橋です。大正12年(1923)の関東大震災復興計画の一環として昭和2年(1927)に架け替えられたそうです。

駅へ戻る途中の南千住六丁目には旧千住製絨所の敷地を囲む煉瓦塀が残されています。明治2年創業の官営工場跡地で、日清・日露の極寒の戦場で兵隊さんたちがまとった軍服の羅紗の生地が織られた地です。お国のために寝る間も惜しんで働いた絣のモンペの紅ホッペの女工さんたちが偲ばれます。

来た道を戻った南千住駅付近は江戸の頃は小笹の茂る沼沢地で、そこに小塚原刑場が置かれ、明治初年に廃止されるまでにその仕置場で約20万人の人々が磔(はりつけ)、火刑(ひあぶり)、斬首、晒し首などになったそうです。この地の回向院には幕末の志士吉田松陰や大富豪の富を貧しい人々に施した義賊鼠小僧次郎吉など、獄門に処された人々の墓があります。毒婦高橋お伝の墓もあります。
三ノ輪橋の南の浄閑寺は、安政2年(1855)の大地震で犠牲となった吉原の遊女たちの遺体が、穴に捨てるように埋葬されたことから、「投げ込み寺」といわれています。
荒川ふるさと文化館前で、松尾芭蕉が奥の細道の旅に千住大橋を弟子と渡る姿を3Dで立体化されたタイル図を背景に集合写真
-40- 新春手賀沼ウォーク  1月 4日(日)   飯田 俊二(会員)
 当会の恒例の新春手賀沼ウォークは、当初、手賀沼を周回するコースでスタートしました。2020年からは湖北駅をスタートし、手賀沼遊歩道沿いを歩き、我孫子駅までのコースに変更し、今回で6回目を迎えました。湖北地区在住の会のメンバーもいて、手賀沼の水辺の遊歩道を歩くこのコースを提案、コロナで1回中止しましたが、毎回10名前後の参加者があります。

今年も例年に違わず、好天に恵まれ、湖北駅に9:30に9名が集合しスタート。途中から2名加わり11名のウォークでした。「あびこの並木道」で紹介された四季の道のイチョウ並木を眺め、ケヤキ並木の坂道を下り、手賀沼ふれあいラインへ。干拓地が広がるあたりに来ると、遠く富士山が姿を見せ、シャッターを押す。

遊歩道を歩く参加者(会員)
天照皇大神宮にお参りし、本年の安泰を祈願し、手賀沼遊歩道を一路西に向かって進みました、好天で体が温まり、適度の風に清々しさを感じ歩も進みます。高野山新田の植物園もかなり整備され、冬桜も見られて気分爽快です。

手賀大橋から西は新たな遊歩道、強風に疲れた体で足がふらつき気味。富士山を眺めて気を取り直し、何とかしんがりで目的地の中華飯店に到着。皆さん、アルコールにのどを潤し、料理を食し、来期の抱負に花を咲かせました。


遊歩道から手賀大橋を望む

■もどる