-その11- 理想的な郊外住宅地(2)
今野 澄玲(我孫子市教育委員会 文化・スポーツ課)
1.荻窪と鳥

前々回の続きです。読みづらくなってすみません。
中西悟堂は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人、天台宗僧侶です。そう言われてもピンとこない、と思われる方もたくさんいると思いますが、実は我孫子とも関係がある方で「日本野鳥の会の創立者」とお伝えすると、我孫子市には「鳥の博物館」があるので縁を感じる方もいらっしゃるかもしれません。

中西が生きていた当時、鳥は「飼う」か「食べる」ものでしたが、「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こしました。この運動は、中西が作った造語「野鳥」や「探鳥」という言葉が現在までも使われていることからも定着したことが窺えます。

中西は僧侶としての修行の中で鳥と親しみましたが、30歳のときに僧籍を離れ、米食と火食を絶った木食生活を東京府北多摩郡千歳村(現世田谷区烏山付近)で約3年間過ごします。その生活の中で、鳥の生態をより深く学ぶために自宅にて鳥の「放し飼い」を行いました。この「放し飼い」は鳥の他にも蛇や蜂にまで及び、中西は木食生活の経験を「自然との一体感」を養う時間であったと述べています。そして、その後、生態観察を昆虫などにも広げるため荻窪の地に居を移すのでした。

この思想に同調したのが杉村楚人冠です。楚人冠はもともと野鳥には興味があり、鳥の巣箱の作り方の情報を海外から得て庭に設置していたり、鳥の水浴場をつくったりしました。昭和9(1934)年3月、日本野鳥の会の雑誌『野鳥』の創刊に向けた座談会では民俗学者であり、朝日新聞社で同僚であった柳田国男から「杉村君。巣箱はどうなったか」と尋ねられていることからも設置していたことがわかります。なお、この柳田国男も巣箱には興味があったらしく、鳥類の研究者であり、巣箱を日本で普及させた内田清之助に直接巣箱の掛け方を尋ねるほど興味があったようです。

このようなことから、日本野鳥の会の発足メンバーには創立者の中西と並んで、楚人冠の名前のほかに、内田、柳田の名前も載っています。

2.柳田国男
 柳田国男は布佐に兄の松岡鼎が住んでいたので、我孫子ゆかりの人物であるとご存じの方も多いと思います。楚人冠とも交流があり、杉村楚人冠記念館には柳田とやり取りした手紙が数多く残っています。

 柳田は官僚時代牛込(現東京都新宿区)に住んでおり、息子が牛込にあった成城第二中学に通っていましたが、その中学校が砧村(現東京都世田谷区成城)に移転することになったため、昭和2年、砧村に引っ越しました。
成城学園前駅周辺はいまでこそ高級住宅地のイメージが浮かびますが、当時の砧村の様子はまだ農村の名残が濃い新興住宅地でした。これは、柳田国男の絵葉書から読み取れます。柳田は砧村に引っ越すと自分の近況を撮影し、オリジナル絵葉書を作っていました。オリジナル絵葉書の中の1枚に砧村の航空写真が採用されており、開発中の様子が写されています。楚人冠も我孫子に住むと便箋に「The Haven Abiko,Chiba-ken(安住の地、千葉県我孫子)」とエンボスを押しているので、郊外に住むと自分の家の自慢をしたくなるのかもしれませんね。

この地で柳田は野鳥に目を向けており、柳田の『野鳥雑記』には、「住居に困って居るだけは確かである」とスズメのために巣箱をかけ、軒のない新しい家が多いことを「全く此頃の建築は燕に不便だ」と嘆いて、軒の代わりにツバメが巣をかける棚を備えてやる柳田の姿が描かれています。

3.探鳥会
こんな二人の野鳥に対する想いが書かれているのが『野鳥』創刊号に書かれた富士の裾野で開催された探鳥会です。

探鳥会は昭和9月6月2日と3日の2日間に富士山麓にて鳥巣見学会という目的で行われました。集まったメンバーは中西、内田、柳田、楚人冠をはじめとして、北原白秋、金田一京助など総勢29人以上の団体でした。そこで、鳥の鳴き声の解説やマネを披露することが行われました。このことが楚人冠・柳田共に大変興味を惹いたようで、探鳥会の感想では、2人とも鳥の声を聴く耳が養われた会合であったと述べています。彼らが住んでいた郊外住宅のまわりには常に豊かな自然があり、鳥の巣は珍しいものではありませんでした。しかし、判別できない鳥の鳴き声の正体がわかることによって、たくさんの種類の鳥が自宅の周りにいることを認識し、より自然を身近に感じたのでした。前回ご紹介した近衞の目白と荻窪の風景を重ね合わせたという文章からもわかることですが、明治から昭和にかけて急速に都市化が進み、郊外住宅の範囲が拡大していったことがわかります。柳田が引っ越したのが昭和2年、関東大震災を経て楚人冠が我孫子に居を移したのは大正13年。そう考えると、このころ東京を中心として同心円的に郊外住宅が広がっていることがわかります。


スタンプラリーの実施 
第四小学校の6年生が作ったスタンプラリーを体験して
                          中塚 和枝(会員)
  《我孫子にCome On!! スタンプラリー》が、アビシルベのまち歩きアプリ『あびこ巡り』で2月6日(金)〜3月1日(日)に実施されました。15箇所のチェックポイントのQRコードをスキャンしてスタンプを集めると、プレゼントがもらえる仕組みです。

 令和6年度から「景観まちづくりの普及啓発」の一環として、我孫子市景観推進室と当会が学校と連携し、学校の「総合的な学習の時間」を活用して景観教育「景観まち探検」を始めました。今年度は第四小学校で実施。5年生は座学。6年生は座学と当会のガイドで我孫子駅南側をまち歩きをし、成果をお勧めスポットとして大勢の人達に紹介したいと"デジタルスタンプラリー"(写真右)を作成して早速体験し、子ども達が自分達のまちへの関心や愛着と誇りを一つの形に仕上げたことに感動しました。景観への関心が芽生える一端になったのではないでしょうか。

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